1年で消えた権兵衛越えの路線バス
国道361号線の伊那と木曽を結ぶ区間は林道を暫定国道として利用してきたのですが、権兵衛トンネルなどの開通により実質的に本供用開始となりました。これにあわせて、地域振興の一環として伊那バスターミナル・伊那市駅と木曾福島駅を結ぶバスが運行されることになりました。しかし、なかなか乗客利用が定着せず、わずか1年で姿を消すことになりました。このレポートは新権兵衛越え区間の見学も兼ねて出かけた時の話です。
朝10:00過ぎに名古屋からの高速バスで伊那バスターミナルに到着。コミュニティバスの「イーナちゃんバス」なんかを眺めて売店をのぞいたりしていると、乗客は他の路線にみんな乗ってしまい閑散としてしまいました。
伊那バス本社前を出た木曽側のおんたけ交通のバスが入ってきました。バスは1日4往復で、伊那側の伊那バス、JRバス関東と、木曽側のおんたけ交通が共同運行していました。路線廃止はもう決まっているのですが、若手運転士の他に指導運転士が運転席後ろに座っています。
乗客は私以外にもう一人。みはらしの湯の方へ行かれるようなのだが、伊那バスの路線バスではないので運転士・お客とも要領を得ない様子で、結局おばあさんはすぐ出た所で下車。以後ほとんど空気輸送状態でした。
伊那市駅前のロータリーを通過。電車の時間があわないせいか人影も少ない。コミュニティバス1台いるだけでJRバスも伊那バスの姿もない。伊那北駅をかすめて山登りが始まる。伊那中央病院を経由するがこちらも乗降なし。南箕輪村のコミュニティバスを見ただけでした。
再び山登り。伊那インターを過ぎたあたりから急に積雪が目立つようになりました。山麓にあるみはらしファームに停車。温泉はここからちょっと歩いた場所になります。ここから先のかつての暫定国道区間は除雪されないので冬季閉鎖中でした。
この先の暫定国道にバスが突っ込むわけもなく、一旦山を下っていきます。その途中で伊那バスとすれ違いました。あのおばあさんはこのバスに乗れたんでしょうか。
広域農道を経由してR361に入ります。
えらく交通量が少ないです。時間帯が昼前だからですかね。
標高が上がると雪が増えてキリが出てきました。
県道203号与地辰野線の起点です。県道はかつて暫定国道へのアクセスルートになっていて、その当時の「木曽」の行先を修正した跡がほんのり残っています。ちなみに左折路は権兵衛トンネル建設のアクセス道路になっていたようです。1999年のMapFanでは現在の権兵衛トンネル東坑口付近までが国道指定されています。
ここからが地域高規格道路「伊那木曽連絡道路」区間。除雪しやすいように路肩も広い構造です。上に見えている林道は旧:暫定区間へアクセスできるルート。
県道分岐から2kmほどで、権兵衛トンネルに到達。車内放送で権兵衛峠の由来の説明が流れました。
権兵衛トンネルを出ると塩尻市奈良井になります。雪の量がぐっと増えました。
オリジナル権兵衛越えルートと交差する地点。左折すれば旧権兵衛峠。右折すれば奈良井ダム経由でR19へ。バスは直進します。
続いて姥神トンネルへ。ここは2002年から先行供用されていた区間です。R19 はここから5kmほど北の鳥居峠を越えています。
トンネルを出ると整備区間は終了。高規格道路の計画としてはR19交点まであるようだが、いつになることやら。
ちょっと日陰に入ると、融け出した水と雪とでぐちゃぐちゃ。自分の車だったら間違いなくコンクリ擁壁へ直行です。
無理やりに現道(行き止まり)に入って2kmほどで R19 交点へ。バスは左折して木曽町中心部を目指します。
R361 もしばらく重複して進みます。8kmくらい進んだところで R361 は単独分岐していきます。長大トンネルで改修が進んでいるようです。
R361が去った直後、R19はバイパスで市街地を避けるのですが、バスは右へ入ります。
すぐに関所そばを通過。このモニュメントは中央本線の列車からも見ることができます。
街中に入ると道が狭い。いかにも宿場町という風情ではあります。
一段高い場所にあるJR木曾福島駅前に到着。木曽町側で何人か乗客が乗りましたが閑散としたまま。バスは川を渡った先の病院まで運行されます。
地元のおんたけ交通のポールと並んで、ごんべえ号の専用ポールも立っていました。
当時の時刻表(出典は忘れました。伊那市役所のホームページだったと思います)を参考まで残しておきます。当たり前ですが電車の時刻などはその当時のもので、現在のものではありません。
ごんべえ号パンフレット
信濃毎日新聞の記事で紹介されていましたが、地元住民へのアンケートで関心は得られたものの、観光やビジネスなど地域外からの利用客を思うように呼び込めなかったのが誤算だったとのことでした。確かに全国版時刻表にも掲載されていませんでしたね。試行ということだと逆に地域外利用客は定着しないことも一因だったかも知れません。