平野部はトレース困難 奈良r50 大和高田桜井線 (2)
2003年5月 調査走行
R24 を北から南に向かって走行すると r50 の入った案内標識が現れた。「箸中」とは、r50 と R169 との交差点。
単独区間に入るとしっかりヘキサが立っている。この先天理市を一部かすめることになる。
R24 から分岐したあとは青垣山地を眺めながら平坦な地区を快走できる。
太平橋を渡ると変形五叉路になる。大型大特通禁路である左の方へ行くと r51 に出る抜け道。
今までと違って、道路標示まである親切な(でも信号のない)交差点。県道は指示通り右折しよう。直進すると狭いながら一応 R169 へ出ることはできる。
県道はすぐに左折する。右に進む道は途中で集落の中に入ってしまい、R24 まで抜けられない。
500mだけ天理市を走って桜井市に入った。「もう桜井か」と思うのはちと早い。ここから終点までが遠いのだ。
この先、道なりに針路を南へ向ける。
快走路が1kmほど続くが、突然T字路になり、県道は左折。右は r14 への短絡路。
T字路のすぐ先で R169 とぶつかる。r50 は R169 天理方向(北行き)へ重複して進むことになる。
国道おにぎりはあっても県道ヘキサはない。JR桜井線を跨線橋で越えてすぐに右折し再び単独区間へ入る。標識での行先は「都祁(つげ)」になっている。
単独区間に入った直後はセンターラインのない 1.5車線区間だったが、この付近はセンターラインがある。
これまで平地ばっかりだったが、いよいよ山が近づいてきた。正面はご神体でもある三輪山。
センターラインもなくなって峠の雰囲気がしてくる。近くには万葉歌人である柿本人麿の歌を刻んだ石碑がある。人麿はこの地(巻向)に住んでいたとの話もあるようだ。
桜井の三輪・初瀬周辺は歴史的に面白い所だ。桜井市東側の初瀬地区には渡来系の人々が居を構え、飛鳥時代には海柘榴市(つばいち)が開かれた。長い谷という地形と初瀬が結びつき、「長谷」=「は(つ)せ」になったというのはよく言われる話である。標識の地名は箸中になっているが、すぐ隣の穴師という字名も当て字だろう。文献によっては「痛足」という字を使っている。意味を表す文字と表音が違っていたのだろう。
いずれにせよ、ここも千数百年の歴史を持つ地域だ。奈良を訪れる方にはぜひ山辺路を辿っていただきたい。
いよいよ坂がきつくなってきた。纒向川を渡る。道幅は 1.2車線程度である。
水辺には心なごむ風景が。なにも先を急いで走るばかりが能ではないと思った瞬間だった。
坂の途中で林道が分岐。地図によれば行き止ま林道のようだ。R165 が通る初瀬川へは谷がきついようだ。
途中で伐採の進む地域を通過する。ちょうどここがヘアピンになっている。
いかにも「崩れちゃいました」な斜面。特に伐採された地域は地盤が緩くなっているので要注意だったりする。
そうそう。こういう木々に囲まれて鬱蒼とした雰囲気がないと奈良の険道という感じがしないんだよなぁ。この先勾配が少しきつくなる。
このあたりが最狭区間(橋だけならもっと狭い区間があるが)。狭い木々の間へ1.1車線の道が続いている。が、この先突然センターラインが現れて改良区間になる。この変化の激しさもまた酷険道名物。
突然距離標示の案内標識が。でも小夫も針(都祁村)も r50 の終点より先なんですよね…。ところで、道が広くなったとたんに路面のタイヤ痕が増えた。どうも夜間に暴れている奴がいるらしい。
笠山荒神の看板が見えてくると登りはほとんど終わり。右へ行く道は r38 へショートカットする。県道は道なりに左へ進む。
その笠山荒神入口には、何と年3日しか運転されないバス停のポールがある。奈良交通はほとんど月1日しか運転されない天理市内循環といい、律儀にポールを立てるものである。
ここからは下りになる。写真中央に見えている2車線道路がこれから行く道。
非名阪R25・天理ダム方面への短絡ルートr247(笠天理線)を分ける。かなりの3桁険道らしい。案内標識手前のヘキサがなくなってしまって補助標識だけになってしまっている。
集落内は1.1車線の狭い区間がある。右下には r38 が見えてきた。
集落へ枝分かれする道が増えてややこしい。坂を下る方向にはややこしくないのだが。
(写真は逆方向で撮影)
木造校舎の小学校が現れた。地図によれば桜井市立上之郷小学校とのこと。
ここまできて、突然ガードレールのないブラインドコーナーが。あのなー、通学路なんだろうからちゃんと安全設備くらいつけてくれよー。結構落差あるよ、これ。
坂を下り、r38 にぶつかったところが終点。