2002年8月 北海道
1日目 曇りのち雨
今年は夏休みの日程をあまり真面目に考えなかったので、直前になって4日間休みが取れることに気付き、飛行機の予約もとらないまま出発することになった。一応の目標は11時前くらいに伊丹を出る飛行機ということにし、8時台のリムジンバスを予定する。ニュースは広島の平和祈念式典の話題ばかりだ。が、出発直前に忘れものがあったり、結局間に合わなくなってしまった。奈良線快速急行に乗り換え。上本町からリムジンバスに乗ることにする。が、関西空港行きは駅コンコースすぐ横からなのに、伊丹行は高速バスターミナルに移動させられたようで遠い。バスターミナルに着いてみると若干渋滞で遅れているということだ。
予告通り10分弱遅れて上本町を発車。高津から阪神高速に入る。環状線も車が多くて心配したが、空港線に入ってしまえばすいすいと走り、大阪空港へ10分程度の遅れで到着した。バス車内で検討した結果、10時50分のJALか、11時20分のJASを目標にしておく。どちらも北ターミナルで搭乗手続なので都合がよい。しかしJALは満席。JASは空席があるようなので航空券を買う。今回は金属探知機は鳴らさなかった。制限区域内に売店があり、なぜか明石の淡路屋が出店しているので小さいお寿司を購入。すぐに搭乗口から機内に入る。新幹線のような2+3シートだ。
途中機長から放送があった通り、東北北部から北海道にかけて寒冷前線があるため結構揺れる。揺れがおさまってしばらくするともう降下し始めた。千歳付近は曇り空である。スムーズにタッチダウンして荷物を受け取った。熊本の時に比べれば預かり荷物の封印が外れやすくなっているのは結構。機内で時刻表をチェックしていた時には13:19の電車に乗って千歳でバスに乗り換え支笏湖へ向かおうと思っていたが、今座った電車は13:34発でバスにはぎりぎり乗継げないことに気付いた。じゃあ、千歳降車はあきらめて今からバスターミナルに向かおうと思ってももう時計は13:28。バスは13:30発なのでまず間に合わないだろう。千歳で降りるからと進行方向左側の席に座ったのでがっかりしながら札幌まで進む。札幌で予想通りほとんどの客は降りたので進行方向右側へ移動する。この電車は小樽行だし、久々に小樽まで足を伸ばすことにした。南小樽からの側線が草むしているもののずっと本線に寄り添って下って行き、どうなるのかと思ったら手宮方向へ伸びていた。小樽築港から分岐と思っていたのは勘違いだったみたいだ。小樽で降りると駅内の回転寿司屋のメニューに寿司とラーメンのセットがあるのでそれを注文。紀伊國屋書店に寄ってバス乗り場に戻ると、札幌北IC・北大経由の札幌行き高速バスの時間になった。
上を行くのはJR札沼線の高架。先端が廃止されたのに根元の部分は都市鉄道の趣だ。
札幌北ICから札幌IC間は路線バスがあるのかどうかは不明である。北ICを出てすぐに右折、北○○条の数字が減って行くので南下しているのがよくわかる。北大病院前を経由するころには乗客はほとんどいなくなっている。札幌駅へ向かう人は丸山経由の便を使うからだろう。私1人終点の中央バス札幌ターミナルで下車。予想通りすぐに地下鉄のバスターミナル駅が見つかった。東西線に1駅乗って東豊線に乗り換えて北上し、栄町という郊外らしからぬ名前の駅で下車する。予想通り中央バスの麻生行があった。すぐバスが来るように思ったがそれは1時間後のところを見ていたことが分かりがっかりだったが、銀行ATMを探してうろうろする間に遅れていたらしいバスがやってきた。中央バスといえば以前にも月寒で平岸駅行にだまされたことがあったが、今回は状況が好転したからいいようなものの、もう少し定時運転の努力ができないものか…。これほど遅れるからには運転手サイドではなくダイヤに問題がありそうなものだが。
麻生からは一気に札幌を通り越して真駒内へ。さっぽろからは夕方のラッシュということもあって大混雑。と思ったら半分以上大通で降りてしまった。南平岸の先で地上に上がり、有名な覆い付きの高架を進む。真駒内からは定山渓へのバスがあるので、札幌へ戻るバスがあるのではないかと思ったがそれはちと早計だった。待合室の路線図と無料配布の時刻表をにらめっこすると、目の前に止まっている藤野3の5行を石山2の8で降りれば札幌行に乗継げそうなことが分かった。ところが、時刻表では近そうに書いてある石山2の8が遠い。途中で石山中央バス停が出て来て、あれっと思ったが次の札幌行は石山中央を通らないのでさらに先で乗継ぐ必要がある。やっと石山2の8(2条8丁目)へ着くともうあたりは暗い。反対側のバス停をやっと見つけると、手持ちの時刻表通りの運行であることを確認してやっと落ち着いた。
札幌行は三菱の路線車。さっきのは日野の低床車だった。石山2の6でさきほどの道から別れて豊平川を渡り、河口に向かって左岸を進む。南5西11を過ぎて右折、すすきのへ向かうが、そのままホテルに入るのだったら1つ手前で降りれば近かったことに気付いて悔しい思いをする。すすきので降りて、前回食事をした寿司店を探すが見当たらず、雨が落ちて来たのでタクシーでホテルへ向かった。
今度はちゃんと桑園駅を見に行こうと、荷物を減らして歩いてみる。10分程度で駅まで歩けそうだ。ちょうど札沼線ディーゼルが出てしまったあとなので、江別行普通に乗って1駅札幌へ。地下街の回転寿司店はまだ開いていたので食事をする。ATMコーナーは時間ギリギリらしいがなんとかビックカメラ(旧そごう)前にあったのを見つけて用を足した。コンビニで少し買い物をしてから愛想の悪い運転手の車でホテルへ戻った。
2日目 曇りのち雨
予定通り早朝に目覚ましで起きた。チェックアウトして桑園駅に歩いて向かう。大浴場が外から見えるが、中は曇っていて見えないようになっている。駅につくとまだ列車の到着には時間がある。札沼線ホームに上がると下りの5両編成くらいの回送列車が通過していった。そのあと、予定時刻になって上り列車が到着、すぐに交換の下り列車も到着した。キハ40-300系とキハ141系の5両編成だ。車内は50系客車の面影が残っている。大学関係者などが途中から乗って来るが上り列車ほどの混雑にはならない。どちらかといえば折り返し上り列車のために増結しているといえそうだ。新琴似の先までは複線高架だ。非電化複線路線そのものが北海道以外ではほとんど見られない上にこれだけの高架も珍しいと思う。石狩当別で同じホーム向かい側に止まっている単行のキハ40新十勝川行に乗り換え。かつてはキハ56を両運転台にした車両が走っていた区間だそうだ。
夏の遅い北海道では麦秋を迎えていた。
石狩月形で高校生とともに乗客の1/3くらいが降りた。駅前にはバスも待ち受けている。交換列車は浦臼発の単行便。非冷房なので窓をあけて爽快な気分を味わう。となりの国道は道北への抜け道なので結構交通量は多いみたいだ。新十津川駅に到着。ここから雨竜・碧水・沼田方面はバスに乗り換えになる。私は滝川駅に出たいのだが、駅舎内には親切にJRバスの乗り場への地図があった。それはよいのだが、駅前を「砂川駅」の掲示を出したJRバスが走って行った。なぜだろうか?
地図に書かれたとおり進むと交差点のところで「滝川ターミナル」の行先を出した中央バスが走って行った。あわてず指定されたバス停に行くとこのあとJRバスの1分前にも中央バスの滝川行があるようだ。ともかく近くのAコープなどをひやかして時間をつぶす。中央バスは予定通り滝川駅前の中央バスターミナルに到着。駅に戻ってみると札幌方面行の特急が遅れているらしい。人身事故で旭川折り返しに手間取っているようだが、幸いにも旭川行特急は無事なようだ。ライラック1号で次の駅深川で降りる。留萌線はキハ54単行…かと思ったら、後ろにもう1台つないだ。しかしこれは留萌までの回送らしい。
留萌線で運転されているSL列車で、増毛から留萌まで戻ってきたところ。増毛にはターンテーブルは
もちろん機回し線もないので、増毛からの帰りは深川方に繋いだDE15が牽引する
留萌に到着、とりあえず全員改札から出されるようだ。入れ違いにどやどやと人が乗り込んだが、これは後ろの1両が折り返し深川行になる運用だからだ。増毛行までは20分ほどあるので駅前をお散歩し、沿岸バスやてんてつバスなどを眺めて満足。増毛行にもさきほどからやかましいグループが乗っている。ときおり日もさす日本海側を走っていく。途中、車両1台分すらない駅に停車するが、これはおそらく国鉄時代に仮乗降場だったものではないだろうか。
阿分駅にて。ホームの端の柵すらない。雪が降った時危なくないのだろうか。札沼線の
正真正銘の駅にも(ホームは列車長以上あるが)端の柵がない駅がある。
終点増毛は駅舎内のそば屋さんで賑わっている。あとで調べたら日曜・祝日営業だったはずだが、夏休み期間中は平日でも営業するのかも知れない。
本来の予定では、もう1本あとの増毛行でここに着いて、ダッシュで札幌行バスを捕まえる予定だったが、慌ただしいことはやめてここで折り返す。この折り返しでも騒音集団がまだ一緒だったが、やっと留萌で降りてくれて静かになった。隣にはSLすずらん号のスタフを持った乗務員氏。車両はそれほど空いている訳ではないのに車内で居眠りには困ったものだ。石狩沼田の手前で左側から合流してくる草むらを発見。これが線路あとらしい。
深川からはまたまた1区間だけ特急を利用する。旭川では待ち合わせ時間が少ないような気がしたが実は勘違いしていた。それだけ時間があるなら明後日の北斗星の切符をかったのに…。いずれにしても駅前で無事帯広行バスの切符を購入。旭川電気軌道や道北バスの撮影をしながら時間を過ごした。
帯広行は予想通り帯広へ帰る十勝バスだった。おあつらえ向きに三国峠を越えるノースライナー三国号で、なんとか士幌線跡を眺めることができるかも知れない。運転手さんは丁寧に車内の乗客に向かって挨拶をされたのが印象的。ところが発車するとかなり天気が悪く、途中雨がふりだしてきた。上川を過ぎて層雲峡バスセンターで休憩している時には雨は止んだが、その先大雪ダムで国道39号線から分岐するとまた強い雨になってきた。三国トンネルでサミットを越えると急速に下って上士幌町へ。気付かなかったが、下り坂が一段落したところが三股で、もともとの士幌線の終点だったところだ。幌加付近では線路あとらしきものがちらちらしだすが、雨のため暗いのでなかなか写真に撮れない。左手に湖がみえてきた。糠平ダムによる湖だ。糠平温泉の文字が見えるが線路跡がどこか分からなくなってしまった。ところが、堰堤のところで突如道路下にアーチ橋が表れて驚いた。一瞬だったので写真を撮りのがしてしまった。後日テレビでも放映されたが、有名なアーチ橋らしく、保存が決定したのは悦ばしい限りだ。
おそらく幌加付近ではないかと思われる。糠平湖のあたりで撮影ができればよかったのだが…
上士幌では高校生の男女2人が下車、音更では雨のなか親子連れが降りていく。雨はますます強くなり、建設続行の是非が問われている道東道をくぐってライトアップされた十勝大橋を渡った。強い雨の中を帯広駅に到着。ここで明日の切符をやっと購入。上段だが北斗星4号の寝台がとれたのはラッキーだ。が、手持ちの現金が乏しく、駅員氏にお願いしてカードで支払い。見た目はヤンキー風(失礼!)な駅員氏だが、応対は極めて親切で、ATM の場所も知恵をかしていただいた。感謝。
しかし、またも駅ビル内食堂の閉店時間と重なってしまった。うかうかしていると長崎屋の店まで閉まってしまうが、傘を買う店がないというのにものすごい雨だ。あきらめてびしょ濡れになりながら長崎屋まで走って食堂に入った。十勝名物の豚丼にする。もともと豚肉大好きなので好物なのである。
3日目 雨一時曇り
目がさめると、乗る予定だったバスの発車時刻だった。目覚ましがちゃんと鳴らなかったらしい。さすがにあわてて時刻表をめくると、10時すぎのバスで出ればなんとか北斗星4号へは繋がるようだ。ふぅ。8時前に一度ホテルの外に出る。雨はまだ降っているがそれほど強いわけではない。駅前のローソンに傘を買いにいくが売り切れとのこと。駅正面の通りをコンビニを求めて歩いてみるがかなり歩いてやっとセブンイレブンを見つけ、購入。帰りは都合よく拓殖バスに乗って駅に戻った。戻って支度をしてから出発。駅を改めてのぞくと改札口がホーム別に分割されている。駅構内の弁当店兼食堂が開いているので鮭の朝定食をたのむ。ちょうど札幌行特急の時間になると店内はがら空きになった。特急待ちの客で混雑していたようだ。定食を食べ終えるといい時間になったので駅前の十勝バス案内所でバス乗車券を購入。バスはブルーリボンシティの新車だった。再びふり出した雨の中を進む。かなり南下したはずなのに帯広「北」高校の前を通ったりして混乱しながらも国道236号線を進む。マラソンがあるのか、ランニングシャツ・パンツで走る男女と時々すれ違うが、地名は数字の無機質なものばかりでほぼ直線。張り合いがないかも知れない。更別で女の子が乗ってきて、忠類で降りた。忠類は北に十勝スピードウェイというレーシングサーキットがあり、道路はここで南東方向から南へ針路を変える。その次の町が大樹で、例の雪印乳業の食中毒事件で不本意ながら有名になってしまった町である。歴舟川という川を渡るがまだ河口まで10km近くある内陸部だ。
浦幌町(根室本線の駅で言うと浦幌駅より1つ札幌寄りの新吉野近く)から海岸線に近いところを通ってきた国道336号線と合流した地点はもう広尾町。すぐに、半島を横断して日高幌別へ向かう国道236号線と別れるともう旧広尾駅はすぐである。時刻表通りすぐにJR北海道バスが出るのだが、残りの千円札が1枚しかない。運転手氏に様似までの運賃を聞くとやはり足りなさそうだ。旧駅舎に事務所がある十勝バスの係員氏に事情を話して1万円札を両替してもらった。
バスはあちこち片側通行になっている黄金道路を進む。道路は立派なのだが保守が大変なんだろうと思う。あちこち新トンネルへの付け替えも行われていた。崖は急峻で、積丹半島は古平町のトンネル崩壊事故の影響もあると思われる。天気はかなりの雨になってきて海側は煙ってまったく視界が開けないのが残念だ。音調津(オシラペツ)という変わった地名を通るが、これは「お」「しら」「ぺつ」を全然違うところで切って漢字をあてたような気がする。北海道でよく地名にでてくる「別」をあてた「ペツ」というアイヌ語が「川」を意味しているという程度のことしか知らないから、これ以上は分からない。
庶野をすぎると険しい崖の道からは離れて台地を行く。右に岬をショートカットする国道を分けてバスは岬へ向かう。ここが百人浜であるが、雨ではどうしようもない。バスは百人浜レストハウスを過ぎてえりも岬の集落をすぎ、段丘上のえりも岬停留所へ到着。雨では歩いてもしかたがないし、もとより寝坊をしたせいで寄り道の時間はない。観光客は半分以上が入れ替わって、半島の西側に移った。
えりも町の中心をすぎてまた断崖が近づいてきた。幌満の集落の先が日高耶馬渓で、さきほどの半島の東側同様崖が海岸へ落ち込んでいるところになる。ちょうど小樽で見かけた堀 惇一さんの廃道を追った紀行で、この幌満から急峻な海岸線を避けて山へ分け入った旧道の話が乗っていたが、こんなところが旧街道なのかと思うほど、その谷も険しかった。
写真の正面に見えている谷を登って行くらしい。国道は海岸線沿いを進む。
スリルたっぷりの日高耶馬渓を抜けたところが様似(堀さん曰く、シャマニがアイヌ語での本来の発音だとか)である。途中で運転手氏が「鉄道に乗り継ぐ人はいますか?」と訪ねたので遅れているのかと驚いたが、接続時間が短めなので気をきかせてくれたようだ。バスは駅に寄るまえにまた急な坂を上ってアポイ山荘に寄る。この奥にひかえるアポイ岳には高山植物の群生地があるそうだ。山荘から3名ほど乗車があり、運転手氏は無線で営業所に連絡。道内時刻表にも山荘による便があるとの注記がある。運転手氏の車内での乗り継ぎ確認はこれが関係しているのかも知れない。
様似駅もおそらく地元の肝煎りなのだろう、きれいな駅舎である。ただし、改札口を模したものはあるが、直接ホームに堂々と出入りできる構造だ。車両はロングシートのキハ130は引退しておりキハ40の2両編成で、夏の期間は札幌直通の快速(苫小牧−札幌間)「優駿浪慢」となっている。かつての急行えりもを思い浮かべた。雨に煙った景色を眺めてもさえないだけなので、堀さんの本の続きをゆっくりと読む。が、半ば予想していた通り食料の調達ができていないのが辛いところ。静内で8分停車との放送が入ったので、コレ幸いと駅舎にかけこむ。駅そばをやっているので手を出したいところだが、安全策で売店で飲み物とスナック菓子を買う。弁当がないのは残念だ。その次が新冠で、競馬に興味のない私でも知っている競走馬の産地だ。日高門別あたりまで来ると空が随分明るくなってきた。水平線が平らに見えないのは窓のガラスの歪みなのだろうか。鵡川でまた5分停車。駅前にはあつまバスと道南バスの姿が見えて終点が近づいたことが分かる。かつてここから富内線が出ていて日勝峠を越えるバスがあった。今でもバスはあるはずでいつか乗り継ぎたいルートの1つだ。
鵡川駅もきれいに立て替えられていて、交通センターを名のっていた。
いよいよ北海道完乗のラストスパートなのだが、落ち着いていられない理由がある。本来であれば1本前の日高線列車で苫小牧につき、時間に余裕があるので登別で温泉にでも入って北斗星へ乗り継ぐつもりで切符も登別からにしてある。が、この列車が到着する直前にスーパー北斗が出てしまっていて、しばらく下りの列車がないのだ。しかも時間はもう6時近い。外湯情報を調べてこなかったのだが、もし外湯専門の公衆浴場がない or 休みだと旅館・ホテルの内湯ということになるが、7時前後でも受けてくれるかどうかは甚だ疑問だ。しかも手持ちの地図を見ると登別駅から温泉街までは結構な距離がある。昼間なら道南バスがあるのだが、道内時刻表では夕刻のこの時間はほとんどバスがない。ということで、リスクを冒して登別に行く意味があまりないような気がしてきた。それならば、苫小牧なら確実に銭湯くらいあるだろうから、とにかく汗だけでも落としておく方がいいような気がする。登別で北斗星に乗り継げる普通列車まで1時間少々あるから、急げば可能だ。ただし、食事はする時間がないから弁当を買う必要がある。時間的には微妙だけど、最悪乗り遅れたとしても当然北斗星4号は苫小牧に停車するのでここから乗ればなんとかなる。
ということで、自分の行先を決めたのはもう最後の駅、勇払を出たあとだった。臨海興業地帯を列車は進んで5km近く室蘭本線と並行して走り、終点に到着。もう辺りは暗くなっている。コインロッカーに荷物を入れて駅南口へ。まずは近そうな銭湯を探さなければならない。駅前で公衆電話を探していると、「東日本フェリーの港に行きたいのですが」と道を訪ねられた。フェリー乗り場なんて知らないが、確か市バスがあったはずで、市バスターミナルの案内所で聞いてみてはとアドバイスする。
公衆電話と手持ちの地図と相談で、浜町2丁目の銭湯にする。バスも通っているはずだが、確実を期してタクシーで進む。「最近銭湯も減っているからねぇ。」と運転手氏に珍しがられて川を埋め立てた苫小牧橋のそばの小さな銭湯へ。脱衣場が小さくてロッカーがないのには驚いた。浴槽もおおきくはないが汗をおとすにはこれで充分。
愛想のいい番台のおばさんに送られて道路に出る。今度は駅に戻るだけなのでバスで帰る。橋を渡って駅方向に少し進んだところにすぐバス停が見つかった。市バスは市役所前を少し大回りするコース。王子総合病院交差点で左折するさいに、無灯火の自転車を巻きこみそうになってパニックブレーキ。深く腰掛けていてよかった。運転手さんも「大丈夫ですか?」と心配してもらうが、他に乗っていた女性も含めて何ともなかったのはよかった。
駅に戻ると普通列車まであと20分ほどある。駅前のダイエーに地下街があるのでそこで弁当を買おうと思ったら、予想通り寿司盛りあわせなどが夕方の値引きセールをやっていた。コインロッカーの荷物を出して駅に戻り、改札を入ろうとすると、あれ、切符がない!ひょっとして、シャツの胸ポケットに入れて、銭湯で脱いだ時に落としたのだろうか。もしそうであれば、今ならタクシーで銭湯まで戻れば回収可能だ。必死になって財布の中やら探し回るが見つからない。ポケットの中の小銭やらレシートやらを全部だしたときに、クシャクシャになった様似から仙台市内への乗車券が出てきた。が、それはしかし東室蘭行普通列車が発車した1分後の話である。
北斗星までは40分ほど。またコインロッカーを使うのもバカバカしいので、待合室の奥に荷物を積み上げておく。さっき買った弁当をたいらげてから切符の変更を駅員氏に申し出ると車掌にそのまま申し出てくれればよいとのこと。600km以上なら特急料金は変わらないし、寝台料金は距離に無関係のはずだ。
ようやく北斗星の改札放送が入った。荷物が重いので早目にホームへ降りる。2号車なのだが、逆編成だから後ろ(1号車は下り列車の先頭側というのが原則なので)かと思ったら逆だった。屋根もついていないホーム先頭付近に到達するころ、ホームに到着放送が流れた。もうすっかり見慣れた北斗星塗装のDD51重連である。上段寝台に収まって車掌に事情を話すと「そのままで結構ですよ」とのこと。やれやれである。昨日あまり寝ていないし昼寝もそれほどしていないので、早寝を決めこむ。向かいの上段と両方の下段は空いたままだが、函館かどこかから乗るのだろうか。放送は長万部までで終了となった。
4日目 曇りのち晴れ
目がさめるとどこかの駅を発車するところだった。時計を見ればまだ5時半くらい。仙台で降りる予定時刻は6:49 なのだ。次に目がさめて外を見たのが一ノ関だが、時計は 6:20くらいである。あれ?一ノ関と仙台ってそんなに近い筈ないよな…と思っていると、6:30になっておめざめ放送が流れる。
「この列車、津軽海峡線で大雨による徐行運転を行いました関係で、現在30分程度遅れて運転しております。」 仙台での乗り継ぎ時間は40分ほどだから、このままの遅れならなんとかぎりぎり間に合いそうだ。しかしまあ、心配なので車掌氏が回ってきたときに、昨日苫小牧で駅員氏に知恵を貸しながら買った新潟行高速バスの指定券を見せて相談する。車掌氏は旅客指令に連絡してくれるそうだ。が、車掌氏はしばらくして戻ってきた。どうも朝早いためかJRバスの営業所の電話に誰も出ないらしい。「連絡さえつけば安心なんだけど…」。と車掌氏も気をもんでくれる。だがしかし。列車は瀬峰を過ぎたあたりからスピードが落ちてきた。小牛田のあたりで再び車掌氏が現れ、ショッキングな情報を持ってきてくれる。「すみません、仙台では50分に遅れが膨らみそうで、接続できないって指令が言ってきたんですよ。」 さっきからの状況で分かるとおり、先行の普通列車(一ノ関始発の初列車)が頭を押さえていて、しかも朝の通勤時間帯で待避できる駅がないためどうにもならないらしい。実際松山町だったか鹿島台だったかでは、中線に貨物列車が入っていた。指令からJRバスに連絡は取れたそうで、次の便(2時間後)なら空席があるとのことだが、と次善策を出してくれたが、それだと新潟からの帰着が極めて遅くなってしまう。明日は仕事だし、あまり遅くなるのは考えものだ。車掌氏にはバス切符を払戻ししたい旨告げると、バスの乗車券なので全額(無手数料)払戻ができるかどうかは分からないが、遅延証明は一筆入れましょうということで、ノリホの裏に書いてくれた。バスの乗車券には当日のその便のみ有効とはっきり書いてあるので、基本的には利用者側の都合で乗り遅れれば一切払戻は認められないのが本来のルールだからで、車掌氏の一存で無手数料払戻を保証するわけにはいかないのは当然である。「あとは仙台駅で交渉しますね」ということで手打ちとした。
結局、指令の予想通り約50分延で仙台到着。もちろんもうバスは出た後である。前回は満席で乗れなかった新潟−仙台線だが、ツキに見放されているとしかいいようがない。さらに増延する見込みなら、特急券・乗車券を上野とか大宮とかに変更という手もあるが、さすがに開放型寝台でここから4時間以上居座るのは辛い。さて、仙台駅を降りてとりあえず切符の払戻に望む。みどりの窓口は帰省客で混雑し始めている。10分ほどまって窓口で、「北斗星が遅れたのでバスに乗れなかったんですが、払戻してください。」というと、係員氏はどうしたものかと首をかしげている。もちろん原則は前に書いた通りなのだ。「本来だと 6:49 着でバスが 7:30 発だから充分間に合うんですけど、50分も遅れたので乗れなかったんです。」と追い打ちをかけると、無事全額払戻しとなった。やれやれ。しかし、これで阿武隈鉄道直通の普通梁川行には微妙に間に合いそうにない。いや、正確には改札口の発車案内には出ているのだが、もう1分しかない。切符も持っていないので無理だろう。仙台市営バスにまだ乗ったことがないのを思いだしたので、駅の近所までバスに乗ってみた。かえりは宮城交通バスで変化を付けようと思ったら、これが駅前を通り越しで随分先で停車した。駅前のターミナルは仙台市バスが追突されたようで事故車の周りに職員と警察が出て応対にあたっている。
駅に戻って新幹線ホームへ。Maxやまびこがすぐに出るようなので、運がいいことを祈って自由席の切符を買いホームへ。なんとか1号車の2F窓際があいていた。