2002年10月 東北

2日目 雨一時曇り


鶴岡駅

上下いなほ号の交換。日本海縦貫線の特急網も縮小され寂しい状態だ。

旅程は2日目午後に入っていて、山形県の日本海側、鶴岡駅にいた。今年はこの週の月曜が祝日なのでそれが終わるのを待って出発した。

これから乗る山形行高速バスはここを通過するらしいので待っていてもいいのだが、次の山形行きが山交便なので庄内交通にも敬意を表することにする。が、始発の庄交モールまでは雨さえなければ歩いて5分ほどの距離なので市内便バスに危うく置いていかれるところだった。

モールの乗車券販売所では寒河江までと申し出てみると、途中で降りる場合には直接運賃箱へ入れてくれとのことだった。しばらくバスの出入りを眺めていると、どしゃ降りだったかと思えば突然日がさしたり気まぐれな天気だ。道路の向こうはすぐに羽越本線の線路で、赤いEF81に引かれた短いタンク列車が走りさっていく。名前の「庄交モール」とはショッピングセンターなのだが、全館改装中ということで、次の週末にオープンだそうだ。

山形交通バスはモールと駅で高校生も含めて15人ほど乗っただろうか。市街地を一回りしていく。降雪地帯なので商店街もすべて屋根がつけられている。鶴岡市役所の前で渋滞しはじめた。何かと思えば補欠選挙の応援演説で民主党の菅直人議員が来ているようだった。

バスは庄内観光物産館を通る。この系統の高速バスは鶴岡・酒田から運行されており、かつては酒田系統も鶴岡に寄っていたのだが、現在は山形道の延伸もあって酒田系統は酒田みなとICから直接高速に入り、この鶴岡の庄内観光物産館のみ経由するよう注意書きがあった。産業館とはどこのことかと思えば要は鶴岡ICということらしい。ここからも3人乗車があった。

鶴岡ICから高速道に入る。出羽三山の一つ湯殿山付近は雲に覆われている様子だ。対面通行の70km/h区間を[ないしょ]km/hくらいで快走して湯殿山ICが一旦終点となる。ここから国道112号線の「月山道路」に入る。途中湯殿山ホテルに寄るが付近の紅葉は見事なのに雨が台無しにしてくれている。その先自動車専用道路の標識があるが全区間無料らしい。月山ICを一旦通り越して月山口停留所に寄ったあと再び高速道路に入る。どうしようか散々迷ったが、付近に何も見えないので不安になって寒河江SAでの下車は諦めた。バスはそのまま山形方向へ進むと山形JCTが見え、米沢方面への東北中央道を分けた。奥羽線に沿うらしい。正面右手の蔵王連山が夕日を浴びて綺麗だ。

山形県側から見た蔵王連山


バスは山形北ICから道路工事とその工事車両に頭を押さえられてかなりペースを落したが3分程度の遅れで駅前に到着。あれだけ飛ばしてこのペースということは、もともとの所定時刻がかなりのスピードで走ることを前提にしているようだ。

3日目 木曜日 曇り

早朝からややこしい切符を買わなければならない。みどりの窓口で山形−横手−北上−一ノ関−大船渡 という乗車券と、山形−新庄、北上−一ノ関の自由席特急券を買っておく。山形始発の新庄行特急は普通車全車自由席でゆったりとしている。特急料金を節約するためには10分ほど前に出た普通新庄行に乗る方がよいのだが、それだとあとの快速に間に合わないのである。新庄はちょうど8時過ぎなので高校生が大挙して駅を出ている。

快速は2両だがガラガラ。通学時間帯が過ぎるとこんなもんだ。淡々と山に囲まれた谷を走っていく。横手で下車すると上りの普通列車院内行(またこの列車である)が異音感知で停車しているらしい。道理で快速が交換なしに出て行った訳だ。ほどなく隣の後三年に到着したとの放送が流れて列車が到着。今回は何もなしにしてもらいたい。そんなのを眺めていると朝食に予定していた焼きそばの時間が15分しかなくなって、少々慌てて駅の喫茶店でかきこむ。横手焼きそばの由来は駅に張り出してあった。

北上線で少々寄り道をしてから次の列車で北上へ。例によって乗り換え時間がないので先頭ドアから新幹線ホームへ急ぐ。Maxなのだが乗車距離も短いので迷わず1F席の通路側。一ノ関で降りて大船渡線ホームへ急ぐともうキハ100系2両の快速となるディーゼルカーは入っていた。釜石線と似た雰囲気の車中で、通学生の姿も見えないので淡々と走るが、乗車率は悪くない。気仙沼で乗ったことのある区間に繋がったが、あまり人気がなく閑散としている。列車はそのまま各駅停車となって盛までいくが、こちらは気仙沼湾を眺めて途中の大船渡で降りる。

駅前からすぐの接続?で県交通の盛岡行が出る筈なのだが、駅前広場にバス停のポールがない。交番に尋ねようとしたら巡回中らしい。そばにいたタクシーの運転手さんが交差点すぐ右だと教えてくれた。海岸線のローカル便は特急や急行などの種別も多彩で本数もかなり確保されている。盛岡行は予想通りデッカー車でやってきた。盛駅前を通ると聞いてびっくりしたが、地図でみればなるほどその通り。

盛駅前

右手に盛駅がある。大船渡からくると、三陸鉄道はここで折り返して海岸線に向かう。岩手開発鉄道とこの国道は正面の山の方向へ向かう。

そのあと岩手開発鉄道に沿って山を上り始める。夕暮れで写真は撮れないのは残念。鉱山に線路が分かれて行くとすぐにトンネルで峠を超える。坂を下ったところが世田米で、JRの駅のそばに止まった。駅というので線路を探したが、なにをぼけていたのかここは遠野と陸前高田を結ぶ遠野線のバスの駅なのだ。バスは荷沢峠という小さな峠を超えて小友へ。同じ名前の駅がさきほど乗った大船渡線にあった。少し進むと釜石線の鱒沢駅前で、以前乗ったときに駅前におりたったところだ。凌沢で北上へ向かう国道107号線と分かれて狭い山道に入る。暗くて標識が読めないので地図で追いかけると北上して宮守村へ向かっているようだ。さっきから気になっていることが3つある。1つは千円札が1枚たりともないこと。2つめはトイレに行きたいこと、3つめはまだ盛岡の宿が取れていないこと。しかしこのバスは所要時間が2時間を超えるためどこかで休憩を取るはず…と思っていたら、果たしてドライブインの駐車場にバスは乗り入れて運転手はサイドブレーキを引いた。「1万円札の両替ができるところはありますか?」とお伺いを立てると「両替しますよ」と小さな鞄を出して来てくれたのでほっと安心した。

再び走り出すとさっきの凌沢と同じような三叉路を右に取って狭い道を走り出した。しばらく走ると今度は別の国道396号線に入って大迫(おおはさま)を目指す。ずいぶん坂が緩やかになってきたなと思ったら大迫の集落で旧道にあるバスセンターに停車して国道に戻る。ここからはひたすら国道396号線で盛岡を目指す。このまま4号線に合流するのかと思ったら左折して北上川を渡ったので驚いた。サティが見えたので都南大橋で間違いないらしい。ここから4号線バイパスに入る。はっきり言って奈良の24号バイパスなんて目じゃないくらいにいろんな店がバイパス沿いにできている。そのまま南大橋を渡って、国道106号(山田線と同じように宮古を目指す国道)に入ってバスセンターに至り駅前へ。

駅に入る手前で旅館が見えたのでお伺いを立ててみると洋室が空いているということ。荷物を置いて外に出てみる。前に苦労したのでまずは食事。駅前ビルの地下に食堂街があり、少し迷ったが、鶏竜田揚げと牛タン塩焼きの定食にする。

3日目 曇りのち晴れ

今日ばかりは天気が心配なのだが、朝のニュースでは天気はよさそう。まあ、初日の夜の雨だって予報には出ていなかったわけで信用はできないが…。

盛岡駅前は早くも県交通のバスを中心に出入りが激しい。以前はほとんどなかった現行の国際興業塗色(緑系)のバスをよく見掛ける。しかもナンバーが岩手200で、どうみても新車ではないので登録変更されているようだ。親会社の地区は排ガス規制が厳しいから譲渡されてきたのだろうか。

花輪線の初発は5時台で、この朝の早い便でも2番列車である。ホームにはもうキハ52とキハ58の2両編成が車体を奮わせている。車内は暖房が入っている。今日は行く先が十和田湖なので防寒対策はしてきたが、それでも確かに寒い。高校生の通学とは逆ラッシュになるのでほどほどの混雑で盛岡を発車した。対向する列車は701系の6両編成だったり、キハ111系の4両編成だったりするが満員だ。途中で花輪線からのキハ52・キハ58の混成6両編成ともすれ違った。好摩からは花輪線に入る。そういえば花輪線を全線乗りとおした時の列車もたぶんこのスジだ。今回も八幡平を前に前回ほどではないが霧が出てきた。しかしそれもいつしか晴れて、十和田南で降りる頃には秋晴れの青空が広がっている。あまりに寒いので、恐る恐る十和田南駅構内の立ち食いそばに手を出してみるが、思ったほど醤油辛いわけではなくまずまず。体がしっかり暖まったので文句を言うとバチが当たりそうだ。

十和田南駅からのバス路線はJRバス東北の十和田湖南線で、大湯温泉を経て発荷峠を越えて十和田湖に至る路線だ。大湯温泉からは、盛岡からの高速路線も同じルートを走ることになる。この高速路線は将来が約束されているが、これから乗る十和田湖南線は北線とともに来年3月末で廃止が決まっている。

今まさに紅葉シーズンということで、駅前のバス乗り場には30人ほどが並んでいる。これが最後の賑わいということになろう。峠越えにかかり展望台の所では景色が一変し、見事に全山紅葉の真っ最中で息を飲む。湖のほとりもななかまどなどがしっかりと色づいていて美しい。

発荷峠

発荷峠から見下ろす十和田湖。この付近の山肌はすべて色が変わっていた。


バスを降りて荷物をコインロッカーに入れて散歩する。天気がよすぎて少し霞んでいるようだが、それでも文句のない景色だ。売店をひやかして、鮎の塩焼きやら比内鶏の焼き鳥、ゲソの串焼きなどに手をだしているうちに時間がなくなった。駅に戻るともう青森行は3割くらいの座席が埋まっていそうだ。ところがくずかごがない。汁もののパックをそこらへんに置いておくわけにも手で持っているわけにもいかず、うろうろしているうちにバスが出てしまった。荷物をバスに載せていなかったのは幸いだが、次の便まで1時間半くらいあり、ぼーっとしていても仕方がないのでタクシーで先に進むことにする。

運転手氏の話も売店の人と同じく1週間後ごろがピークだろうとのこと。八幡平同様こちらも連休はかなりの渋滞だったようだ。奥入瀬渓流も木漏れ日と紅葉(特に黄色の葉)が映えて美しいが、タクシーのメーターばかり気になって仕方がない。写真を取ろうにもロケハンをきっちりしないと思いどおりの構図が取れそうにない狭い渓谷だ。途中でバスを追い越したので、石ヶ谷停留所でタクシー代行は終了。六千円ほどの予定外出費だったが、無事バスに乗り換えられた。

バスは蔦温泉で少々休憩。目の前に木造のあじわいのある建物があり、そこが浴場らしいがとりあえず見るだけ。車内の放送テープでは大町桂月がこの十和田の地を気にいったという話が流れている。レールバスの通っていた七戸へおりる道を分けたところが谷地温泉で、さっきのタクシーの運転手氏が話していた通りこのあたりはちょうど紅葉のピークのようだ。ただし、温泉がバス停そばにはないらしい。アオモリトドマツが多く見られる傘松峠までくると八甲田連山が見えてきた。今も火山ガスが噴き出す地獄沼を過ぎれば酸ヶ湯温泉に到着。目の前に一軒宿らしい旅館が見えている。

酸ヶ湯温泉

八甲田連山を背にしてこの付近も紅葉がピークだった。酸ヶ湯温泉にて。

貴重品のみの小さいロッカーに財布を入れて脱衣所へ。かなり混雑しているが、紅葉を愛でにきた人と八甲田の山歩きを終えた人が混ざっているようだ。浴場は2つの風呂と打たせ湯があり、手前の風呂には熱湯と書いてあったので奥へ行けば実はこちらの方が温度が高かった。それでも肌に滲み入るような感覚は火山系温泉特有である。のぼせそうになったので、一度脱衣所へ戻って休憩して今度は手前の風呂に浸かって出た。こちらの混浴になっている風呂は石鹸・シャンプー等禁止なのだが、タオルを洗うための台は用意してあり、木でできている。金属よりは長持ちなのだろう。そうそう、この温泉は混浴で水着禁止というので其の筋でも有名らしいが、私の入っていた時間帯は圧倒的に男性の方が多く、また湯も白濁していてかなり熱いので、スケベ心で長湯してのぼせても知らないので念の為。

広間に出るとNHKを流しているワイドテレビがあって椅子が並べてあるので休憩。発汗作用が強いのか喉が乾いた。NHK大阪ローカルだったはずの生活笑百科の放送をしていて驚いたが、やっぱり特番だったらしい。バスの時間の20分前くらいになったので、停留所の行列を予想して早目に行くともう10人ほどが並んでいる。最終的には40人近く(朝の十和田南よりも並んでいた)の行列になった。到着したバスの側面の看板では「青森駅−子の口」となっており、さすがにこちらは続行便が出ているようだ。タクシーの運転手氏との雑談でこの路線が来年3月末までという話に及んで、夏休みシーズンと紅葉シーズンは確かに客はのっているが、それ以外は乗客1桁というのが普段の姿だそうだ。そういえば十和田湖から大湯温泉を経て大館へ出る便(秋北が共同)もなくなっているし、寂しい話だ。なお、十和田北線の酸ヶ湯温泉から先十和田湖までは冬季運休期間があるので、このシーズンが最終運行となる。十和田南線と青森から酸ヶ湯までは通年運行だ。運転手氏情報では、自治体が補助を出してでもどこかの会社に運行させるとは思うが、厳しそうだなぁ、ということ。

バスは八甲田ロープウェイ駅に寄る。「まだ頂上往復できますよ」とのバス運転手の案内が流れた。その先は突然高原が広がった。萱野高原という名前で、八甲田連山が鮮やかだ。その先に映画にもなった八甲田山の雪中行軍で遭難があった話のテープがながれ、運転手氏が肉声でフォローを入れる。遭難場所はこのバス道路の谷をはさんだ反対側らしい。「あの場所はダメなんです。風の通り道なんで。」

萱野高原

八甲田連山を奥に置いてすばらしい高原が広がる。手前のはすすきではなくカヤだとか。萱野高原にて。

雲谷(もや)高原のホテルの所に寄り道。「雲谷で降りられる方、ちょっと歩くといまコスモスが満開です。」との話どおり、右手にコスモス畑が広がっているが、十和田・八甲田の雄大な眺めを見た後では損をしている。この運転手さんは積極的にマイクをつかって沿線観光情報を入れてくれる。青森ねぶた観光館も同様だ。青森のことを少しでも知ってもらおうという熱情には感心した。ねぶた館入口まで来ると市内便のバスも出ているし、青森市街の車窓に変わってきた。萱野や雲谷からの青森市街の眺めが煙っているのは藁焼きのせいと説明があったが、確かにその通りだった。NTT前で左折して駅を目指す。ねぶた祭りのねぶたを作る場所や巡行コースなども放送で流れ、確かに以前に歩いて見覚えのある商店街が見えてきた。ほぼ時刻通りに青森駅到着。これだけ熱心に放送していた運転手さんと廃止が決まった路線で出会うというのも複雑な心境だ。

今日は市内の旅館に泊まることが決まっているが、駅からは微妙な距離である。バス路線図を見ていたのだが、どの系統がそこを通るのかがさっぱり分からないので荷物も多いしタクシーの世話になった。昨日の盛岡は和洋折衷だったが、久々の純和風旅館だ。去年の北海道の斜里以来だろうか。夕食のみで予約してある。食堂に現れたおばさんもおしゃべり好きな人で、十和田湖観光の話になり、やはり青森−奥入瀬−十和田−発荷峠と抜けるルートが一番のお薦めらしい。軟弱に子の口折り返しで十和田市へ降りるルートなどを選択せずによかったと思った。雪中行軍の話のあとに、実は最近でも陸上自衛隊の訓練で死者が出たとの話になった。原因は雪ではなく火山ガス。おそらく塹壕(タコツボ)を掘った時にガスが出たのではなかろうか。おばさん曰く「昔も今も変わってない」ということ。山を甘く見たら代償は高いものにつくということのようだ。青森は雪が多いらしい。海岸線沿いより内陸の方が雪が多いと思ったら、ここ青森は湿った雪で降雪量が多い大変な所らしい。その為、雪下ろし中に屋根の雪が滑り落ちて、雪に埋まってしまい窒息死するなどの事故が毎年あるそうだ。自然を侮るなかれ。

夕食は陸奥湾特産のホタテを使い、刺身やフライにしてある。珍しいのはホタテのヒモの刺身。どれも美味でおかわりしたのは言うまでもない。

4日目 曇り

やるんではないかと思っていた寝坊をついにやってしまった。前日荷物だけ預かっておいてほしいとか言っていたのだが、そうもいかなくなったので宿のおばさんに荷物は持って行きますねと連絡して出発した。

昨日の商店街の所へ歩くと弘南バスか十和田観光かのバスが1台走って行く。もう市内バスも動いているようだ。通りを1本間違えたかと思って適当に歩くと市役所前バス停が見つかった。が、始発のバスはもう出ているものの10分前に出たところ。次は20分後である。とすると、さっき見かけたバスがやっぱり五所川原行だったようだ。目の前でボファーンという音がして車の左後輪がパンクする現場を見てしまった。近くにはどこかに登山か何かで出かけるグループがいる。先行した黒石行も五所川原行もデッカー車での運行で、古川を出るあたりで10人弱の乗客になった。大釈迦手前まではほぼ奥羽線に沿っていく。国道7号線から国道101号線に入り、小さな峠を越えたら五所川原市に入った。しかしこれだとどう考えても青森行直通快速「深浦」には間に合いそうもない。駅に着くと快速の出た30分もあとだった。

次の列車まで1時間弱。弘前まで戻って逆行してもそちらの列車の方が遅いので、ここで待つのが最善策らしい。売店であたたかいお茶を買って、昨日買っておいた弁当を広げる。駅前を散歩してみると弘南バスの待合所は雪国らしい防寒対策がしてあり、中にはもうそば屋さんが開店していて昔懐かしい市場の雰囲気がしている。

弘南バス待合所

バスが到着する側はすべてガラス戸になっていて風雪が入らないように作られている。まだ9時前だったが、奥にある食堂はもう開店して湯気をあげていた。

三厩までの切符を手にして改札を入るとちょうど津軽鉄道の2両のディーゼルカーもやってきた。ひょっとすると前に乗ったストーブ列車のスジだろうか。今度は雪で遅れることもなく鰺ヶ沢からの弘前行ディーゼルカーはキハ48・40系の3両で到着。車内はよく混んでいる。板柳からはりんご園の中を走る。ちょうど収穫前で美しく色づいたりんごが車窓からもよく見えるが、秀峰岩木山は残念ながら雲の中だった。

リンゴ倉庫

ちょうど収穫作業の時期だったため、リンゴ冷蔵倉庫(これも初耳)の裏には山積みになっていた。

スケジュールがかわったため、弘前には立ち寄らずに川部でそのまま普通青森行電車に乗り換える。五能線深浦行も入ってきて駅は一時の賑わいだ。青森からはすぐの連絡で普通蟹田行…と思ったら、この列車がそのまま蟹田まで走るらしい。車内に荷物を置いてこのあとの指定席券を取ろうと思ったが、駅のマルスが故障しているらしくえらい行列だ。蟹田にもみどりの窓口があるらしいのでこのまま進むことにした。

あまりすっきりしない天気の陸奥湾を見ながら進む。昼前の普通で3両編成ということもあって車内はよく空いている。蟹田では後続の快速に追い付かれてから三厩行が発車するので30分ほどの待合わせ。その間に、三厩から郡山までの乗車券と、青森−盛岡−郡山の乗り継ぎ特急券を購入する。そろそろ帰り支度というところだ。

三厩行ディーゼルカーは2両編成。ぽかぽかとあたたかくなってきたので窓を小さく開けて陸奥湾を眺める。三厩駅で無事に東北完乗を果たした。しかしここはまだ半島先端の竜飛まで10km以上ある所だ。目の前に時刻表通り三厩村営バスが止まっているが、時間がないので今回はここまで。青森で買った弁当を食べて折り返しまでの時間を過ごした。帰りに名前だけはよく見るが通過の時に毎回見逃していた「中小国」駅を見ようと思ったら、ホーム1本の棒線駅。分岐の実体は少し手前の新中小国信号場だった。中小国には海峡線方面の列車は停車しないので、下り側の隣駅表示には津軽今別の表示がない。http://fine.tok2.com/home/ekisya/A-GENEKI/152-TUGARU/152-NAKAOGUNI.html には国鉄時代の駅名標の写真があるが、この時には津軽今別が標示されていたらしい。

蟹田へ戻るとまた少し待ち時間がある。到着した蟹田止ディーゼルカーにあわてて駆け寄る人がいたので、青森行普通なら2番線ですよと案内する。駅前には陸奥湾が見えているので防波堤の上に上がってみた。その途中には平舘村営の白ナンバー特認バスが止まっている。あとで駅の近くの地図を見ると予想通り昔は青森市営バスの操車場だったらしい。

売店のおねーさんとひとしきり雑談。リゾート気動車による臨時列車も出ているらしいが、あまり乗車率がよくないらしく、東北新幹線延長に絡んで三厩までの延長運転の計画もあるとか。竜飛岬再訪の意気込みを伝えて、昨日のバスよりも先に消えることになった快速「海峡」に乗り込む。ちょうど乗った車両がカーペットカーだった。急行「はまなす」は残ることになりそうだから14系改造客車の方はいくらか生き残るだろうが、余命いくばもない51系改造客車も写真に収めることができた。フェリーの桟敷のようなカーペットに横になってくつろいでいると終点青森だ。10分もしないうちにすぐにはつかりが接続になる。ちょうど隣のホームに12月からの特急電車が試運転で入ってきた。さらに隣のホームには485系国鉄特急色の試運転もいる。珍しい顔合わせだと思う。

新型電車

左が12月から八戸−函館間で走るという新型特急。「海峡」は快速だったので、地元にとっては実質的な運賃値上げになるケースもあるはず。
高速フェリーとの競争には勝利した海峡線だが、飛行機という強敵が消えた訳ではないので今後の動向が気になる。

私の乗る特急は12月までほとんど485系リニューアル車で運転されている。この列車の席は最後部のクロハ481の普通車区画の1C席。ところが一戸をすぎても2の4つの席と1A、1Bも不乗だった。一戸から2A席へ移動した。雨に煙る盛岡に到着。30分ほど時間があるので途中下車して地下の本屋さんを冷やかす。弁当を購入して新幹線に乗り込んだ。ひとつは有名な「いちご弁当」だ。うに飯にあわびが乗っているのだが、うにの濃厚なエキスの前にはあわびも添え物になってしまっている。弁当なのでうに独特のアクが出てはいるが、それでも酒ウニなどとはモノが違う。

新幹線車内マッサージサービスをやっているらしい。以前にも大宮から古川まで乗った新幹線でやっていたが、今回初めて利用することにした。背中と肩が張っているとの話。荷物のせいもあるかもしれない。郡山で下車。

5日目 雨

まだ雨がぱらついている。もう少し目が早く覚めれば高速バスにしたのだが、今日は東京から先へ進むことにしたので福島周辺だけ楽しんで帰ることにする。駅へ向かうと残念ながら福島行の高速バスは適当な便がない。駅に入るとちょうど福島行普通電車があるようだ。717系の3両編成だが、割と乗車率がよい。二本松などの駅で乗り降りも結構あるようだ。福島で乗り換えだが、1番線の先端に阿武隈急行と福島交通の共同使用駅への通路があり、JRの切符は箱に入れるだけの簡易改札になっているが、これで改札の役を果たしているのかどうかは疑問だ。同じ駅になっているのは福島交通も阿武隈急行へ出資しているかららしい。一旦阿武隈急行・福島交通の改札を出て切符を買いなおして駅に入るとちょうど槻木からの阿武隈急行が到着した。反対側ホームに停車中の飯坂温泉行に乗り込む。当然だが、ホームは同じでも線路は繋がっていない。

共同使用駅

見えにくいと思うが、左側に阿武隈急行の電車が、右側に福島交通の電車が止まっている。左にJRへの連絡通路がある。


最初の駅に止まると、まだ新幹線ホームが見えているほどの近い距離だった。東北本線をオーバークロスして北西へ向かう。地方道に沿って走り、すこし山あいが近づいた所が終点だった。駅からすぐの所に鯖湖湯という公衆浴場があるそうなので、そのまま荷物を持って歩く。透明な温泉なのだが水温はかなり高いようで、断り書きとともに水道水を入れて熱くなりすぎないようにしている配慮がうれしい。だが、脱衣場と浴室の境がほとんどないのは独特の構造といえる。

駅に戻って路線バスを尋ねるが駅には福島駅方面の路線は入っていないらしい。たしかに目の前に見える停留所のポールには知った地名が載っていないし本数も少ない。あきらめてそのまま電車で戻る事にする。今度はJR連絡通路ではなく福島駅東口のバスターミナルを見に行く。ちょうどJRバスが止まっていた。他にも福島交通のバスが頻繁に行き交う。高速バスは所要時間が相当かかるのでこの時間から東京行に乗るわけにはいかない。郡山行も40分ほどの待合わせだ。ずいぶん迷ったが、結局駅ビル内のそば屋で昼食にした。郡山と仙台の方言が壁に書かれてあっておもしろい。郡山行には乗れなかったのでJR改札に行くと、なんと福島−郡山間は峠も県境もないのに普通電車が1時間に1本しかない。それならばとここから新幹線に乗ることにする。つぎのMaxやまびこは指定席だと1F席しかないらしいので自由席にした。どうせ外なんて見ないので1F席通路側でもいいから500円を節約した。

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