2006年7月 大隅・天草 海上国道の旅

0日目(木曜:晴れ)

予定通りに仕事場を出て銭湯で汗を流してから三ノ宮駅へ。例によってB個室寝台車に収まるとベッドサイドにコンセントがあり重宝した。以前北斗星で苦労したのを思い出した。高架になった姫路駅を初めて通過。

今回は先月に続いての旅行なのだが、プラン作成が遅れて苦労したが、この個室寝台が取れて何よりだった。

1日目(金曜:晴れ時々曇り夕方にわか雨)

結構しっかり寝たがそれでも眠い。やはり時間的に熊本止は中途半端だ。新幹線接続はけっして便利とは言えないかもしれないがせめて八代延長はならんものだろうか。熊本駅で降りると新幹線工事の関係で1番線が寸詰りになっていて驚いた。予想通り通学高校生だらけで立つ場所を探すのにも一苦労の豊肥線普通電車で新水前寺下車。目指す味噌天神バス停はすぐに見つかった。今回の乗り継ぎポイントの1つだが、熊本駅から交通センターに出ると時間的にギリギリっぽいのに電車に乗って乗り換えると余裕があるのは、多少熊本市街の土地勘がついてきたと自負した次第。しかしこれも裏目に出ることがあるのが奥深い。

市外に出るとある時間でぱったり通学高校生の自転車がいなくなった。後半のぎりぎりで慌てて自転車をこいでいるのは男子が圧倒的に多い。で、明らかに遅刻なのに悠然と自転車に乗っているのはまた女子が多いのも面白い。ちなみに筆者が高校生の頃は、時間ギリギリにいくと先生につかまっていらん説教まで喰らうので、生徒指導の先生がいないやたら早い時間に登校していた。

産交バスの熊本発宮崎行高速バス。車内は冷風直撃で寒いくらいである。エアダクトの調整扇が壊れているようで困ったものだ。このバスは各停便なのでこまめに高速上の停留所やインターの停留所に寄るが、インターの料金所を出るのは人吉くらいであとはみんな手前で転回するようになっていた。しかしこのバス、特に大きな渋滞もなかった割にはどう見ても遅れている。都城ICの看板が出ないといけないころなのだが…。

九州道
九州道の八代−えびの間は長大トンネルが続く。加久藤トンネルは現在でも長大トンネルのランキング上位に位置するトンネルで難工事のすえ開通した。このため、八代−えびの間は危険物積載車両通行禁止である。


結局高速上の都城北に4分延着。急いで高架下に降りてバス停に向かう。一般道のバス停を知らなかったら間に合わなかったかも知れないが、前回宮崎から乗った時の経験が生きて無事到着。もう1人男性が同じように乗り継いだ。これまた前回と同じく北原町で降りて三州自動車の待ち合い所へ向かう。日ざしはキツイが日陰に入ればそれほどでもないのは湿度が高くないからだろう。待合室にはいわさきグループの路線廃止反対署名が置いてあり、旅行者と思われる方も。私も一筆記しておいた。 待合室には「九州内路線バス乗り放題パス」の広告が揺れている。九州内の高速バスも含めて3日間乗り放題らしい。これを早く見つけていれば買っていたのだが…。交通センターに寄っていれば絶対気づいたと思うだけに悔しい。

岩川経由の鹿屋行は志布志線代替バスではないので駅前には入らず、すぐにさっき宮崎交通バスで降りた北原町を通過。最初は5人程度だった乗客だが西都城駅近くのデパート前で大量乗車。このあたりが都城の市街の中心のようだ。ところがここでトラブル発生。いつも使っているフジのデジカメが故障してレンズの可動部がおかしなことに。何度電源を入れなおしても復活せず。あきらめて予備機のニコンのデジカメを取り出す。かばんの中に単3電池があったのは本当にラッキーだった。志布志線跡をくぐってしばらく進むと地域高規格道らしき工事現場を通過。何事もなかったように県境を越えて鹿児島県に入るとすぐ末吉である。バスは最初に駅跡によるがタクシーが1台いる以外何もなさそうなので末吉本町で下車。なんとか国道沿いに寿司店を見つけて落ち着いた。

乗り合いタクシーで温泉へ移動。さっそく中に入ると明るい浴場だが露天はない。ただし公営なのでバリアフリー対策などはきっちりしているようだ。外に出てしばらく待っていると裏手のあらぬ場所からマイクロバスが現れた。今度は別のバスで岩川(いわがわとにごるのが正しいらしい)行に乗り継ぐのに便利な場所で下ろしてもらった。都城行きとすれ違うようにしてやってきた鹿屋行に乗り込む。小雨ぱらつく中、国道からかなり離れた岩川停留所(総合庁舎前。ここが旧駅前らしい)に到着。直前で牧之原ドライブイン行の普通が出ていったが、これなら国道そばの停留所であれば乗り継ぎできた。小雨が降っているので喫茶店くらいあればと思ったのだが、国道から離れているせいかそういったものは見当たらない。トイレに行きたいのだがうまいぐあいにスーパーマーケットにトイレがあり助かった。自販機で飲み物を買って休憩する。ついでにデジカメの電池を購入してバス停に戻る。道行く小学生がみんなあいさつするのは鹿児島ならではである。

岩川
県の岩川総合庁舎。行政上は曽於市大隅町岩川になる。自衛隊員募集の垂れ幕の前に自衛隊ナンバーの車。近くに鹿屋という大きな基地がある。庁舎前のバス停(志布志方面)は立派なのに、反対方向(牧之原・鹿児島空港・都城方面)のバス停が雨ざらしなのは片手落ちである。

志布志発の鹿児島空港行急行はエルガのトップドア車だが誰も乗っていなかった。しかしここ岩川から8人くらい乗車。牧之原が近づくと前を回送の大型バスが走っている。これが私の乗る小廻経由検校橋方面平山小学校行きだろうか。が、回送バスはすんなり通過した福山高校で高校生が大量乗車。牧之原につくと前を行っていたバスは鹿児島市内直通の普通便になっていて平山小学校行きは姿がない。あまりに動揺してカバンを忘れるところだったが、どうやら鹿児島市内行きの前に止まっていたらしい平山小学校行は2台のバスと接続せずに出てしまったようだ(だったら同時刻発にしないでほしいが)。ただし、20分後に牧之原ドライブイン経由普通国分行がある。諦めてバスターミナルと名前はついたただの回転場で待つと国分方向から一般型三菱大型車がやってきた。これが折り返し国分行になるようだ。

国道で亀割バイパスを進む。連続下り勾配なのでグラベルの待避路が2ヵ所設けてあった。だいぶ山を降りてきたところで川を挟んだ反対側にいすゞの中型車の姿が。場所から考えるとあれが私を置いてけぼりにした平山小学校行らしい。バスはわざわざ海岸沿いの検校橋停留所に寄るとすぐに内陸へ引き返し、国分駅前に到着した。国分駅近辺は大隅交通は添え物で、林田バスの勢力が強い。駅は立て替えをするらしく日陰がまったくない中で電車を待つことになり暑い。対向には国鉄色475系3連の普通宮崎行が入ってきた。しかしこっちは2両編成の717系。あっちの方がいいなぁ。座る場所もないので運転席後ろで立つ。

国分駅
西みたいなデカライトではないが、国鉄色の急行型電車はもはや遺産クラス。残念ながら眺めるだけ。

以前撮った写真で下車駅帖佐は前の方に跨線橋があったのを覚えていたので列車一番前から帖佐で降りる。鹿児島中央−国分間はワンマン運転とはいえ全駅ですべてのドアが開く。駅前に立ったが、案内図がまったくない。疲れもピークに達したのでタクシーのお世話になり、ウエルサンピアあいらに到着。「あいら」なのに最寄り駅は「姶良」ではなく「帖佐」なのである。厚生年金保養施設なのだが標準料金でも良心的な価格帯で、厚生年金加入者じゃないのが申し訳ないくらい。回りに食事をする店などはないのでレストランですませることにしたが、1000円でちゃんとした料理が出てきたのにも感心。屋内プールが割と早仕舞いなのだが設備もちゃんとしていて好感が持てた。

2日目(土曜:晴れ)

昨夜なんとか荷物を整理したのでスポーツバッグ1つを家に送り返すが着払いのみとのこと。それでも身軽になった。朝のレストランのすぐ外では猫が寝そべっていてのんびりしている。タクシーに乗り込み、行ったことのない駅から乗ろうと加治木駅まで行ってもらった。タクシーの運転手さんから桜島の噴煙被害の話を聞く。もちろん桜島は日本でも代表的な現役バリバリの活火山だが、最近の活動は落ち着いているとのこと。10数年前に火山活動が活発だった頃は大変だったとか。それと火山ガスの影響で花粉症のような症状に多くの人が悩まされたらしい。間接的な影響としては、一時期「鹿児島の中古車は売れない」という話があったらしい。火山ガスや火山灰でボディの傷みがひどいからだ。潮風の影響なんて火山灰に比べれば微々たるものらしい。鹿児島といえば桜島だが、景色の綺麗なところというのは往々にして生活には大変なところである。

加治木駅で待つと鹿児島中央行特急と交換で717系普通国分行がやってきた。わずか2駅で終点国分に到着。垂水港行きは鹿児島空港始発で少々遅れて到着。昨日とは違い唐人町経由で市街地を抜けて検校橋へ。がらがらかと思ったが10人前後の乗客はあるいい路線だ。錦江湾ごしに桜島が見える絶好のポイントなのに、ぎりぎりでバスのすれ違いを撮れずに悔しい思いをする。ところどころ大隅線跡が見えるがもう自然に還っているような状態だ。昨日見た地名「小廻」は「こめぐり」と読むことがバスの放送でやっと分かった。桜島口では桜島南岸経由のフェリー乗り場行きが止まっている。その先、崩落を避けたのか国道が海上を走る区間がある。「早咲大橋」と名前がついているらしいが、対岸に渡らない橋である。

早咲大橋
似たような例は静岡県の大崩海岸の石部海上橋が有名だったが、R150からr416へ格下げされたらしい。

その橋の向こうに山肌がむき出しの箇所が見える。

垂水市海潟

これが昨年の大雨で土砂崩落した場所らしい。国道もこの付近は舗装が直され、付近の住宅の再建工事が進んでいた。火山灰地質とはいえ派手に土砂がえぐられてしまっている。

さて、運転手氏に乗り換え場所を尋ねると終点まで行ってくださいとのこと。確かに終点の垂水新港で志布志行きが待っていたが、トイレに行きたいのに接続がよすぎてどうしようもない。とりあえず鹿屋までは寝てすごす。確か前にきた時もこの付近は爆睡していたような。鹿屋のバスセンターは取り壊し中。なんか付近でもやたらと建築工事が行われていて再開発中なのだろうか。さすが県下第2の都市である。しかし暑い。暑いがお腹の調子が悪いのでうろうろするのもほどほどにバスターミナルに戻ると仮設トイレがあったのでなんとか用を足した(下品な話で失礼)。すっきりすると現金なもので次は食事。目の前にとんかつ屋さんがあり、入ってみると地元の人が頻繁に出入りする店。ひれかつ定食にしてみたら、肉は分厚いのに柔らかい歯ごたえで上々だった。さすがは人気ブランド鹿児島黒豚である。

吾平・田代経由根占行は1日2本で休日運休で、廃止が計画されている系統である。土曜日運行なのは事前に電話で確認しておいた。高校生2人とで鹿屋をスタートする。途中地元の人の乗り降りもあるが、お客が動いたのは吾平まで。高校生2人は田代麓まで。これなら確かに区間便だけで充分である。吾平をすぎて県道に入り、岩元入口で広域農道が分岐するが、正面の県道方向に通行止の予告。大丈夫なのだろうかと思ったら、まるで酷険道愛好家のように華麗に看板をスルーした。左手には中岳が見え、葉たばこの畑を進む。が、壱崎でもう一度丁寧に通行止予告。

通行止

さすがにここは別の3桁県道へハンドルを切った。結局広域農道へ相当な距離を迂回するが、途中の乗り降りがないので大幅な遅れにはならなかった。田代麓で1人になったが、そのすぐ後から1人、2人と乗車。田代麓から先、大根占方面へも区間便がある。大根占を経て根占温泉の前でバスは停車。ここで温泉に入る。海のすぐそばなので強食塩泉だが、日中の露天風呂は最高に気持ちがいい。地元の人によるとやはり今日は人が多いのだとか。

根占温泉

外に出ると猛烈に暑い。フェリー乗り場に向かうとちょうど船が旋回しているところ。運航時間から考えると着岸して乗り降りが終わるとすぐに港を出るようなダイヤになっているらしい。連休ということもあってなのか、降りる車も乗る車も10台前後あるようだ。

根占港
水曜どうでしょう(©HTB) 西日本カブの旅でミスターが感慨に耽った根占港フェリー乗り場。一時期航路が途絶えていたが期間限定ながら船が帰ってきた。鹿児島県などで航路存続に向けての協議が行われているそうだ。

船上から根占港
船のデッキからさっき離れた岸を見ると、次に訪れることができるのはいつになるかとついつい考えてしまう。これで大隅半島とはお別れ。

錦江湾を渡ると山川。岩川と同じく濁って「やまがわ」と呼ぶのが正しいらしい。港から出る鹿児島行バスのお世話になるが、まだ時間がある。待合室の中に入っていると「そこは日があたるからもっと椅子を中まで移してもらったらいいよ」と親切に窓口氏。港の人も船のクルーも態度はキビキビしていて気持ちがいい。船は車と人を積み終えて一足先に岸を離れる。バスはその棧橋のすぐそばからほどなく発車。女性運転士のハンドルで港を離れる。

山川港

山川港から山川駅も結構離れているのだが、ここで指宿枕崎線普通列車に乗り換えてもバスと大差ない時間になるのでそのまま通過。沖にはさっき離岸したフェリーが波を蹴立てているのが見える。

山川
山川港から線路が見える地点までやってきたところの交差点。タクシー会社の名前まで港町風情。山川は枕崎と同じくかつお漁の基地である。

道路は大隅半島から一緒に渡ってきたR269。大隅半島側は根占港が端点ではなく、もう少し南の伊座敷港というところだが、実質的には今渡ってきた航路が海上国道の代替ルートになる。枕崎方面へ向かうR226と合流する交差点でバスは右折して、いわさきグループの指宿いわさきホテルに立ち寄る。ホテルから少し戻ったところが以前にも訪れた指宿すなむし会館の前だった。そのまま指宿駅前に立ち寄り、国道に戻った。この後も時々市街地に寄り道しながら南国らしい海岸線を進む。いつしか国道の路線名はR225になっていて車が増えてくると谷山が近づいてきた。ここで指宿枕崎線のディーゼルカーに追い抜かれるが慌てない。多少流れが悪くなった国道を進み、交通局の先を左折して鹿児島中央駅に寄る。ここからが大渋滞で、やっとこさ天文館通へ到着した。鹿児島の中心であるこの周辺は人通りが半端ではない。あとで聞くとお祭りで大賑わいだとか。何でも日が決まっているお祭りで今年はたまたま連休に当たったという話。何にせよ、活気付いている地方都市というのは見ていていいものである。(←決して浴衣の女の子を見て思った台詞ではございません(苦笑))

3日目(日:晴れ)

かなりな寝不足だがせっかくなのでセットになっている朝食をレストランで食べてからチェックアウト。本来はこんなハードスケジュールにするつもりはなく、大隅半島を回り終えたら、ゆるーく宮崎・大分回りで帰ろうかと思っていたら、長島航路と富岡航路、さらにその先の西彼杵半島のバスが綺麗に繋がり、自分で引っ込みがつかなくなってしまったのである。

市電で鹿児島中央駅に出る。昨日の人込みがうそのように静かな朝だ。鹿児島中央駅に入ってキップを阿久根まで購入。ついでにないと困るかゆみ止めを薬局で購入した。普通電車はもうホームに入っている。予想通り817系2連だが意外に座席はほぼ埋まっている。それでも伊集院を出てしまえば閑散としてしまった。川内で乗り換えだが、中間改札でキップを示して入場。ボランティアなのかオレンジ鉄道サポーターの方々が駅業務の補助をしているようだ。ボードを持った中高生くらいの男子グループが乗り込んで賑やか。彼らはロングビーチが見えた西浜で下車。すっかり静かになってしまった車内は乗客5・6人ほどになってしまった。

阿久根では3人ほどが下車。目の前のロータリーにはバス停があるが長島方面の記述がない。事前に南国交通のホームページで調べた時にもおかしいと思っていたので、駅窓口で聞いてみるとやはり長島方面は国道沿いから出るのだとか。だったらちゃんとロータリーのポールにも案内がないとダメだ。飲み物を買っていると後ろからバスがやってきてぎりぎり間に合った。

バスは駅前のR499のポールを誇らしげに掲げた横を抜けて阿久根漁港へ。

阿久根

しかしこのR499はこれからたどる海上国道とは別物で、定期路線のない海上国道区間が長崎県の脇(野母崎の先端付近)まで続いている。バスは漁港からすぐに国道3号に戻りR389分岐手前で狭い道に入った。折口駅前を通るのだがここもバス停が微妙に駅前から外れた場所で分かりにくい。脇本の集落を丹念に辿ってからやっと R389 に入った。左手に海が見えて一気に段丘を下ったところが黒之瀬戸だった。黒之瀬戸大橋は1974年4月開通、1990年9月に無料開放されている。橋を渡って長島に入ったところがゲート前バス停で、まさか現役時代そこにあったわけではないだろうが料金所のブースがバス停の回転場脇に備えてあった。

ゲート前

ここで、時刻表には載っていない鷹の巣経由平尾行が接続している。長島の諸島ではこれから乗る国道航路のほかに、長島から橋で繋がっている諸浦(しょうら)島の諸浦港から天草の中田港を結ぶ航路も時刻表に乗っている。どうやら平尾で乗り継げば諸浦へ出る方法はありそうなので別の機会に訪れてみたい。役場や道の駅がある指江を抜けて蔵之元集落の中心を通過。一気に海辺へ下ったところが蔵之元港だった。降りたのは私以外に1人だけ。バスは今きた道を引き返して平尾へ向かう。
蔵之元港
おにぎり(国道標識)が自己主張する坂道を、バスは平尾を目指して進んで行く。行政的な長島町の中心はさらに4kmほど先の鷹巣というところになるそうだ。

日ざしが強いがちょうど牛深からの船が到着するところだった。港のそばにある民宿が昼食を受けてくれそうなので涼むことにした。グラスボートの受付も兼ねているらしく、牛深から着いたグループが申し込みをしていた。せっかくなので刺身定食(1200円ほど)にしてみたら、チヌなのか脂ののった鯛の刺身が絶品だった。身のしまりから考えてもこの付近で上がったものに違いあるまい。まだもう少し時間があるので港のそばを散歩。潮だまりには小さなカニがいたりしてのびやか。海は水深の浅い港だというのに下手なプールより透明度が高い。これならグラスボートはきれいだろう。

蔵之元港フェリー乗り場

国道フェリーの文字がうれしいフェリー乗り場のゲート。見ての通り観光バスも乗船するようだ。

牛深へのフェリーは思っていたよりも立派な船だった。車も15台くらい(バスを含む)乗り込んで活況だった。上甲板に上がると内海なのに結構ロールが大きい。ただしキャビンはソファーになっていて、食堂はないが売店もあり、航行時間30分とは思えない立派な船だった。頭上をまたぐハイヤ大橋をくぐって牛深港へ。漁港なので魚を詰めるための氷の貯蔵庫なども見える。下船するためデッキに降りるとさっきは気づかなかったが北見ナンバーの車が止まっている。この車も長旅の途中なのだろうか。

ハッチが開くと天草市の文字が目に飛び込んでくる。平成の大合併で天草島は1つの市に統合されたのだった。県境も越えたことになりここからは熊本県になる。さきほど路線バスから降りた男性ともども徒歩で牛深港の土を踏み締めた。ちょうど港のターミナルではイベントが行われていて盛況。ただし街の中は逆に閑散としている。

牛深港
ゲートが開いた途端に青空と「天草市」の文字が出迎えてくれる。こういう演出は小気味がいい。


牛深は本渡と同じく元々から市だったところで大きな町のはずなのだが、あまりに暑くて歩き回る気力がなくなった。バスがないことは分かっているのでタクシーの営業所に行って温泉まで運んでもらうことにした。意外と距離があり、2000円くらいのメーター。ただ、途中でワゴン車が横転している事故があった。まだ警察も来ていないようだったが大丈夫だろうか。安全運転が肝心である。

うしぶか温泉は山の中。施設は新しくて中はもちろん冷房が効いている。今日のような日は露天風呂がうってつけでゆっくりと温泉を楽しんだのだが、ロビーにある時刻表を見て、さっきの事故で本渡行快速が遅れると一町田で乗り換えの富岡行に乗れないのではと不安になった。ちょうど1本前に一町田方面へ行きそうな河浦総合病院行が30分ほど前にある。急げば間に合いそうなので歩いて国道へ戻った。が、バス停のポールにある時刻表をよく見れば病院行は平日のみ運行。今日は日曜。これなら冷房の中で30分休憩したかった。国道の車の流れは至って平穏で特に問題はなさそう。やっとこさ現れた本渡行快速は乗客0だった。観光客を寄せるはずの快速がフェリーに接続せず、蔵之元からの船が着く5分前に出るようではこの結果は当然だろう。実はスケジュール作成の上で水俣港からの高速船も考えていたのだが、それも同時着発で乗れるようには思えなかった。産交バスには改善をしてもらいたいものだ。

せっかく展望席に労せず座れたが、20分ほどで降りなければならない。海が見えたが、この早浦というところは名前と違って潮は早くなく干潟になっている。白木河内で一旦本渡へ向かう国道から離れ、旧河浦町立の総合病院へ。といっても今日は日曜なので乗降ゼロ。次のバス停が一町田中央と出たので運転士にお伺いをたててみると、さっきのバス停で乗り換えられたとのこと。ただ次の一町田中央でも大丈夫らしい。バスは河浦中学のそばで国道から分かれて一町田の街へ入って行くが、途中の橋が落ちそうだということで迂回する。橋の上に警察官が立っていたので何事かと思ったら、バスを降りたところの小学校のグラウンドでイベントをしていたようだった。

一町田小学校

それはいいのだが、富岡行のバスが時間を過ぎてもやってこない。これが来ないとなると1時間後の普通牛深行になるのだが、そんな時間から富岡に向かっても富岡から長崎への船はなく、鬼池から島原半島へ行くか、熊本回りを余儀なくされてしまう。やきもきしていると5分ほど遅れて到着。始発近くから延着とはひどい。それでも一町田の町内で乗客を広い、一旦牛深方向へ戻ってさっきの病院前へ。ここから国道をそのまま進むことになる。崎津トンネルを抜けると小さな入り江の向こう側に教会が見える。これが崎津天主堂で、バスは国道を離れて集落への狭い道をたどる。

崎津天主堂
羊角湾の入り江の1つ、漁船が並ぶ港に静かに立っている崎津天主堂


番所の鼻を回って国道が見えたが、こちらは丹念に旧道をたどる。悪路の首越峠はさすがにトンネルでバイパスしたが、トンネルを出るとまた旧道に入る。大江天主堂への入口を過ぎてのんびり旧道を辿るうちに乗客はいなくなってしまった。国道389号に戻ったが快走路はほんのわずかで、今度は国道そのものの未改修区間に突入。手掘りトンネルなどが現れる断崖絶壁の区間を行く。手前の方では改修工事が行われているようだが、下田温泉まで約4kmほどが全面改修されるのはまだ当分先の話だろう。下田大橋には別の産交バスの姿が見えた。本日最終便の下田−富岡区間便になる車のようだ。ここからはうそのような穏やかな道になり、サンセットラインと名前がついた海岸線を進む。苓北火力発電所をすぎると町並みが近づいてきた。一旦集落の中へ入りこんでから国道に戻るが、国道番号が変わり本渡からやってきた324号。富岡は地図を見ると岬のようになっているが陸繋島なのだろうか。反対側の海辺へ出たところが富岡港でここが終点だった。

富岡港

港には4月からの車両航送復活を祝うポールがある。永らく高速船による運航で車両航送は中止されていたのだ。待合室に入ると今日の最終便であるこの船の車両積みこみは満船らしい。1日前の根占港を思い浮かべたが、それよりはこっちの方が利用客は多い。今日はリトルリーグの子供たちもいて余計ににぎやか。フェリーは後部ハッチからのみ乗り降りする小型フェリーだった。橘湾は意外と波があり結構揺れる。フェリーが蔵之元のフェリーより小型なのも関係しているのだろう。それでも1時間たらずで長崎県茂木港へ到着した。野母崎方面に雨雲が垂れこめているので夕立かと思ったが、ここは降らなかったようだ。

茂木港
リトルリーグの子供たちを出迎える人で夕暮れの港は賑わっている。国道フェリーが繋ぐ微笑ましい風景。

港まで乗り入れてくる数少ない長崎バスに乗り市街地へ。途中港をぐるっと回って茂木停留所に着くと大勢乗ってきたからこの辺りが茂木の中心らしい。このあたり長崎半島付近には狭隘バス路線が多いらしく、また来る機会があるかも知れない。国道324号に戻ったバスは一気に半島の中央を突破すべく登りにかかる。日曜だが連休中日の夕方なので交通量は多い。いすゞのV6エンジンがぐいぐい坂を引き上げて行く。田上あたりから今度は一気に下り。およそ大型バスとは思えないスピードで町中のコーナーに突っ込んで行くので驚かされる。坂を下ったところが正覚寺下電停で見慣れた景色になった。運転士氏に確認したところこのバスは新地ターミナルを通らないので浜の町下車。これなら思案橋か正覚寺下で降りて電車に乗ればよかったと思うほどの距離を歩いて、さっきまでお世話になった(明日も朝一番にお世話になる)長崎バス系列のターミナルホテルにチェックイン。荷物を置いて裏手にある新地中華街に出かけてみるが、入りたいと思う店がなく、入ってみたら満席やら受付終了やらでがっかり。思い切って思案橋まで歩いてラーメンを食べた。やはり九州に来た以上はラーメンに敬意を表さないわけにはいかない。

4日目(月祝:曇り一時晴れ)

この旅初めての曇天。ホテルをチェックアウトし、すぐとなりの新地ターミナルに向かうがカメラに電池警告が出ている。荷物を待合室に置いて近くのコンビニまでダッシュ。するとバスに乗った途端に電池がなくなった。この先板の浦まで売店にはありつけなかったからいい判断だった。バスは大波止から長崎駅前を経由し、赤迫を過ぎて道の尾で左折。県道28号で峠を越える。昨日と同じく、斜面のわずかなスペースに長崎バスの転回場が設けてあるのがよくわかる。下りにかかると眼下に立派な道路が見えるが、国道などではなく長崎市道らしく、長いトンネルでぶち抜いて川平道路を直結しているらしい。バイパスなのでバス路線はないようだ。畝狩で国道202号と合流したがすぐに1本海岸寄りの道路へ。これも反対側は琴海方面へのバイパスになっている。いかにもといった長崎魚市場を経由した後一気に斜面へ登ったところが桜の里ターミナルだった。この先へはほとんどがここで乗り換えになる。

ほどなくさいかい交通の板の浦行きが到着。15名ほどが乗り込んだ。さっきまでバスに乗っていた男子中学生グループが三重中学を目指して歩いている横を通り過ぎると、道幅は広いがかなりアップダウンのある曲がりくねった道を進む。入り江が見えるとえらく海岸で煙が立っている。何かと思えば「海の日」で地元の方々が浜辺の清掃をしているようだ。こういう方々の努力があって我々は観光を楽しむことができるわけで唯々感謝。砥石崎で時間調整のため停車。あちこちの浜でかなり大掛かりにゴミ処理をしているようだ。今は長崎市に合併になった旧外海町役場のある神の浦地区はバスも国道をはずれて集落の中へ入りこむ。昨日の九州産交バスとよく似た光景だ。再び海岸線へ出ると天気はすぐれないが数多くの岩礁が目につく。いつしかバスは長崎市を出て旧大瀬戸町、今の西海市に入った。西浜でクラブ活動なのか高校生もみんな降りて乗客は私1人になった。これから乗るバスの始発である樫の浦はフェリー乗り場はあっても他に何も見当たらないのでとりあえずバス運転士氏のお薦めにしたがい終点まで乗り進む。そこから1kmほどの板の浦はさいかい交通の本社兼車庫がありここが終点。荷物を置いて浜辺へ散歩に出る。目の前をさっきの樫の浦にある瀬戸港へ入る船が波をけ立てて進んでいる。

板の浦
板の浦の営業所から海辺に出るとこの景色。向かいに見えるのは松島で、松島火力発電所の煙突が見えている。

国道へ足を向けるとコンビニがあったのでこれ幸いと食料のパンと飲み物を買いこんでおく。営業所に戻れば回送表示だがあきらかにこれから乗るバスが一旦長崎市方向へ出て行った。人の乗り降りから考えれば樫の浦ではなく西浜折り返しの方が便利な気がするのだが…。待合室でパンを食べていると別便の運転手氏が「西海橋かハウステンボスへ行くの?」と聞いてくる。横瀬から船で…と答えると、時間がもったいないなあ、大島経由でもいいのに、とアドバイス。大島はこれから通る太田和から別便乗り換えなのだ。せっかくの申し出なのだが、これから乗る西海橋西口経由大串行は丹念に迂回路を辿る貴重な便なので捨てる訳にはいかない。要領を得ない説明をしているうちに運転手氏は車の方に行ってしまい、お礼をいいそびれてしまった。

樫の浦発のバスは予想通り無人で到着。予想通りでは困るのだが、祝日のこんな中途半端な時間では当然だろう。本数が少ないのにこれでは先行きが思いやられる。トンネルをくぐったところで時間調整のため停車。すると反対側から樫の浦行がやってきた。

柳

え、あれを行くの?という狭い道に突入。国道は南串島を踏み台にしているがバスは半島を律儀に回る。左手に大島が見えて来て、岩礁の上にある灯台が映える。大島への橋を過ぎた先の大田和港が乗り継ぎ地点だった。大島また別の機会に訪れたい。左手にまた高速艇のようなものが見える。あれが大島航路だろうか。その先、国道は黒口大橋で湾を渡るところをバスはまたも集落内へ。西海総合支所まで乗り入れる途中で別のバスとすれ違った。こう見ると本数が多いように思うのだが、そうはいかないのが辛いところ。

集落内
冗談みたいに道幅が半分になる集落内の狭隘路。シニアカー1台でもバスは通行できない。


今度は一気に浜辺へ下る。天久保集落を過ぎて国道に合流したかと思えば500mほどでまた左折。面高(おもだか)という漁村によるのだがこれがまた凶悪な狭路。行き止まりとはいえこれでも県道なのだから恐れ入る。

険道121号
バスの横の窓から撮影したので写りこみしている物が邪魔だが、およそ軽四か二輪しか通れないような道へ大型車が頭を突っ込む姿はぜひ外から見てみたかった。暗いのだが建物の手前の電柱に県道標識が立っている。

狭い回転場で道にはみ出しながら転回して国道に戻って行く。このまだ北、西彼杵半島の先端にも寄船という集落があるがここにはバスが入らないので、国道を東に進路を取る。後で戻って来る横瀬にはAコープがあった。内陸の丘陵地を進むと丹納で、ここでさっきの西海総合支所からの道が合流した。ほとんどの便はここから国道を直行するがこのバスはもう1つ寄り道をする。とはいってもなかなか海は見えない。水浦はバス停と港が離れているようだが、畑下でやっと港のそばを通る。ここからも佐世保への船があるのだがぎりぎりで接続できず。このまま国道に合流して次の集落である川内で降りる。ここまでは曇りだったのに晴れ間がのぞいて暑くなってきた。バス停の名前は川内波止場だが港はここから見渡せない。ただここが瀬川港というらしく、これから乗る船会社の由来らしい。ここからは足がないのでメモしていたタクシー会社へ電話して迎えに来てもらう。今度はストレートに国道を戻って横瀬西港へ。港の奥には食堂があるので早目に着いても困らない場所のようだ。目の前にはバスのポールもあるが港まで入るバスは数が少ない。ぼんやりと堤防に腰掛けて船を待つ。近くに立つ案内板を見て驚いたが、その昔宣教師ルイス・フロイスが上陸したのがこの港だったらしい。フロイスは貴重な歴史書を残したのち、長崎で一生を閉じている。

横瀬西港
漁船が揺れるこの穏やかな港を、すぐ先に見える対岸から撮影したかったが、向かいどころか横瀬東港へも直接至る道はなく、しかも向かいは米軍の貯油施設で立入りができない。

船は予想通りこじんまりとしたもので、昔愛知の日間賀島へ行くのに乗った海上タクシーと同じ大きさであり、前方キャビンに行くにはブリッジを横切るという船。当然海上国道ではないが、地元の人の足である証拠に、15人は乗り込んだろうか。この便は区間便で横瀬−佐世保間を直行で結ぶ。今日は海の日ということで、佐世保港では海上自衛隊の護衛艦が旗を掲げている。一部艦船の一般公開も行われているようで賑やかだ。船の出入りの激しい佐世保港に入港。駅は目の前である。

佐世保港
旗で飾り付けをした自衛隊の護衛艦の前を、どこの島へ向かうのか小型の民間高速艇が駆け抜ける。これが現代の佐世保港の姿。

佐世保駅で食料を仕入れて(もちろん佐世保バーガーも購入)特急みどりに乗車。混雑を予想して指定を取っておいたが、もう隣には別の人が座っていて大正解だった。しかし一番緊張するのは最後の最後、博多の乗り継ぎが8分しかないこと。幸い特急は遅れもなく博多駅にすべりこんだ。

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