2007年8月 四国満喫の旅

前の職場の後輩K氏のお誘いで、K氏とその友人M氏と3人で車を使って遊びにいくことに。私は追加で盆休みが取れず土日だけ参加となったが、M氏談「四国を満喫してるなぁ」という印象深い旅になった。

そもそもがグループで旅行に出掛ける(旅先で友人と会うことはあっても)こと自体が相当久しぶり。2001年以来ということになろうか。

四国へ車で渡るのなら2月に使ったジャンボフェリーが格安。時間を有効に使いたいということで、当初は深夜便で渡る話もあったが結局神戸港6:00の早朝便を利用することに。私は自宅に帰ると睡眠時間がなくなってしまうので元町駅南のいつものビジネスホテル泊にし、早朝ちゃんと目を覚まして無事合流(玄関の鍵が開いているのを知らなくて宿直のフロント氏を起こしてしまった。スマソ)。K氏M氏が目印にしたのは吉野屋で、さっそく何か食べてきたらしい。おそるべし。

新港3突に着くとさすがに盆休み直前土曜日早朝とあって相当な車とバイク。予約をしていたので乗船手続はあっさり終了。2月の時にもらったスタンプカードは制度が廃止になったそうで、スタンプ1つにつき1割引という予想外の大サービスでさらに割安になった。ありがとうジャンボフェリーさん。

それにしてもかなりの人なので、一計を案じてドライバーのM氏に運転はまかせてK氏と私は先に旅客乗船口から乗り込んだ。これが大正解。体力ありあまる2人はデッキに出たり写真を撮っていたりしたようだが、私は椅子席でしっかり寝ることにした。

高松港
写真右手に見える高い建物がサンポートだろうか。フェリーは左手の東港に到着する。

船を降りてさっそく1件目のうどん屋へ向かう。運転はK氏に交代している。K氏は昨年度まで仕事関係の出張が多く、すっかり高松の地理に詳しくなったらしい。M氏に散々「仕事せんとうどん屋ばっかり行ってたんやろ」と冷やかされている。

R11バイパスからR32-R377と繋ぎ、かまたまで有名な「山越」さんを過ぎた先にある「池内」さんが本日の1件目。

池内
なぜかうどんの看板と同じくらい大きな安倍総理のポスターがある。

ここはこしの強い麺にしょう油と粒の大きい唐辛子をかけていただく。両氏おすすめの通りこの唐辛子がいいアクセントになってうまい。おかわりに行きたくなるがまだ1件目。一玉で我慢しておく。

ものの10分ちょっと駐車しただけなのにもう車内は相当な暑さ。今度は引き返して坂出市街へ向かう。讃岐富士(飯野山)をかすめてR438-r19へ。JRの高架が見えるとすぐそこが「日の出製麺所」さん。昼の1時間だけ、製麺所でできあがったばかりのうどんを茹でてそのまま食べさせてくれるお店。

日の出製麺所
ご覧の通りお昼の時間帯は行列。

店内に入るとセミセルフともいうべき形で、天ぷらやあげが欲しい人はテーブルの上に置いてあるのを取って自己申告で精算。葱は束が置いてあるのでハサミで切って自分で入れるというのが面白い。つるつるの食感のうどんが1玉100円。ペットボトルのお茶より安くて申し訳ないくらいである。

さて、私はずいぶんと自重して2店とも一玉だけにしておいたが、2人はしっかり食べた模様でさすがに腹ごなししたいと言う。(「おにぎりあたためますか」のレク要求みたいなもん)。次の1店は琴平ということで、せっかくなので金毘羅さんでも行きますかということになった。そういえば私も行った記憶がない。

琴平周辺は昔から客引きがうるさい。駐車場の客引きを避けたつもりが一方通行で戻れなくなってしまい、裏道をこねくりまわしていたら駐車場の文字に吸い込まれた。ありがたいことに屋根付きだが誰もいない。売店に電話してくれとの看板があり、ややするとご年輩のおばさんがやってきた。売店で買い物をすれば無料、買い物しなくても相場の金額なのでここに止めることにした。この屋根付き駐車場はグッドチョイスで、駅前とかだとここよりも相当高いのに青空駐車場が多い。ただし我々がここを見つけたのはただの偶然で、表通りからここにはなかなか入ってこれないと思う。

運転していたK氏の思わくでは階段の途中から登れるかという考えだったそうだが、おばさん曰く「ここが1段目です」ということで無精者にはバチが当たる仕組み(?)らしい。大汗をかきながら本堂まで登ってみた。さっきそばにいた讃岐富士や、遠くに霞みながらも瀬戸大橋が見える。

石段

本堂の隣には海の神様を祭っている社があり、船舶関係の会社が奉納した絵馬が並んでいる。中には青函連絡線摩周丸のものも。摩周丸は津軽海峡線開通前日まで現役で運航され、現在函館港で青函連絡船記念館として余生を送っているそうだ。また、堀江謙一氏がリサイクル原料のヨットで太平洋を単独横断した時のヨットも奉納されている。堀江氏は芦屋市在住で兵庫県ゆかりの人物でもある。

さて今度は下りなのだが、これが相当な傾斜で恐ろしい。仕事場同僚H氏が昔ここをトレーニングで走って上り下りしたそうだが、とてもじゃないが真似できない。途中で子供たちが犬を連れて散歩の途中で休憩している。犬の相手をしようとしたK氏が激しく吠えられてM氏大笑い。子供たちによれば普段そんなに吠えないそうだから、よっぽど人相が悪いと思われたのだろうか。

山門
山門の向うの景色が夏の光に溢れてゆらめいている

車に戻って R319 交差点そばの「武蔵」さんへ。近くにK氏がよく仕事で使ったというビジネスホテルがあるのだとか。琴平周辺の温泉宿やホテルはえらい値段がするそうだが、ここは地方ビジネスホテルなので格安なんだとか。「武蔵」さんのうどんはざるぶっかけがお薦めとのことでお説に従う。ここの麺のコシは半端じゃなく強いが、くどいわけではなくつるっと入る一品。昼をかなり過ぎているのに店内が賑わっているのを見ても名店の証拠。

R319を北に向かい r31 を使って R11へ。あとは西進するのみである。県境近くの道の駅豊浜で小休止。足湯もあるのだがあまりに暑くて手を(足を)出す気になれない。R319 が蛇腹のように山肌を縫っているのを横目に愛媛県に入った。交通量が多くてペースが上がらない R11 に見切りをつけて愛媛r13経由で新居浜へ。r13 経由にしたおかげでいとも簡単に目的のぶつは見つかった。

並進可

全国で2地区(新居浜には2地区あるがそれを1つと数えて)しかない貴重な標識。しかし運転免許を持っている人なら何か知っているはずである。

国道に戻る直前で大きなクレーンが見えたので、運転手K氏はすぐさまハンドルを切る。荷揚げ用ではなく今治造船の巨大クレーンだった。奥では実際に建造中の船の一部も見えた。一時期造船不況と言われたがここ数年日本の造船業界も盛り返しているとの話。

今治造船
かつて栄華を誇った来島どっくをはじめ、今治周辺は造船で栄えた地域である。

そのまま海沿いから R196 に入って今治方向へ。お祭りがあるらしく車の流れが悪い。r38 を分けるとやっと快調に流れだす。そろそろ夕暮れが近いので海沿いに入れる所をさがしていると、またも夕焼け空にクレーンの林立している場所(あとで調べると新来島どっくの工場らしい)を見つけてK君がそっちへ向かう。が、近寄れる道がなく、全然別の海岸にたどりついた。

南九王海岸

美しい夕陽と夕焼けにただ息をのむだけであった。ここに立ち寄れた偶然に感謝したくなった。

夕焼け

夕焼けは日没からわずか10分で終幕を迎えた。名残惜しいが R196 に戻り、松山を目指す。途中給油するとさっきの幻想から一気に現実に引き戻される。高いなぁ…。裏手を国鉄型ディーゼルカーが駆け抜けていった。高松行のロングラン186Dだろうか。かの列車が終着駅に着くのは日付が変わってからである。

松山城すぐ北側のホテル泰平別館に到着。このホテルも相当な格安でお得。道後温泉あたりに泊まるのとは相当な差があることはいうまでもない。私もそうだが、旅に出る時使うのはもっぱらビジネスホテルで、浮いたお金で夕食をちょっと豪華にした方がいいと考えるタイプ。ホテル近くの中華屋さんで夕食。運転手2人の労をねぎらう。この後道後温泉本館(もちろん1F)で汗を落とし、マッサージセンターでコリをほぐしてもらってホテルに帰った。



翌朝。ホテルの食堂はバイキング形式の朝食。K氏お薦めだけあり品数豊富。私もご飯をおかわりして満足。彼らは佐田岬半島先端の三崎からフェリーで佐賀関に渡り、今日は大分泊らしい。フェリーの時間の都合上えらく日程がゆるくなったそうで、逆方向で申し訳ないのだが観光港まで送ってもらうことになった。観光港へは立派な道がついたのであっという間に到着。カメラを出すのを忘れて彼らを見送る写真が撮れなかったのが残念である。

ターミナルに入ると広島直行の高速艇が出るところだが急がないので次の呉寄港便のフェリーにする。電光掲示板には昼行の神戸行フェリーが表示されている。知っていれば選択肢の1つにしたのだが…。広島からのフェリーはほどなく到着しほぼ満載だった車やバイクが一斉に走りだす。広島行もよく混雑している。K氏にメールを送ってしばらく寝ているともう音戸瀬戸だった。せっかくフェリーに乗っていることだしデッキに出る。

音戸大橋
音戸大橋は渋滞が多いため、トンネルによる別ルートを建設中らしい。

製鉄所や造船所、海上自衛隊の基地が並ぶ呉に入港。いつもながら呉での発着はあわただしく、ものの5分着岸しただけですぐにハッチを閉じて広島へ向かう。呉に来たのは2年ぶりだが、2年前と違うのは駅までの歩道橋が完成しているのと、大和ミュージアム、それに退役潜水艦の展示である。

呉港
正面右手は大和ミュージアム。画面左手に海上自衛隊の資料館も開設されているそうだ

本当に棧橋がある建物のすぐそばで、かつて東洋一の軍港とうたわれた呉。戦後の今も自衛隊や造船業など船や海に関わる仕事に就く人が多い呉ならではといえるだろう。

呉からは快速で広島へ向かう。2年前にも眺めた瀬戸内の海は前回(2月)に増して夏の光を浴びて輝いている。呉をめぐる道路事情はここ数年急速に整備され、バスセンターへ向かう高速バスもあるのだが、この快速に関してはなかなかの乗車率。折り返しの快速を待つ人も列を作っていた。ここだけは事前に指定券を取っておいたレールスターで新大阪へ向かう。

弁当
旅のしめは広島名物あなご飯。骨のカラアゲも入っている

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