奈良交通の小型車両たち (いすゞ編1)

私が写真におさめることができた範囲で紹介していきます。

あ・202号車
(奈良22 あ・202号車 いすゞいすゞCCM370 葛城営業所所属 1991年 五條バスセンターにて)

元観光用車両だったらしい珍車だが、一般路線用としても使われていたらしい。他のマイクロ車よりは車体が大きいが、小型登録されているのでこちらに含めた。

いすゞDBR
(奈22 あ・・22号車 いすゞK-DBR370 吉野営業所所属 1992年8月 大和上市駅前にて)

初期型のマイクロバス。この55年式は窓が開閉可能で、乗客用ドアのガラスが上下に分かれているほか、後部や前部の方向幕周りが違う。同じグループの20号車などは、いまはなき「奈良そごう」がオープンした直後の混雑期に、少し離れた場所にある臨時駐車場とのシャトル便にも運用された。

いすゞDBR
(奈22 あ・・31号車 いすゞK-DBR370 郡山営業所所属 1999年5月 赤膚山にて)

58年式のDBR。おそらく新製時から廃車まで六条赤膚線をほとんど活躍場所にしていたと思われる車両。31・34・35号車はゾーンバス対応車両で、車内には整理券発行機のかわりに乗継券発行機が搭載されていた。冷房はサブエンジン式で車内後部に冷風を天井に回すダクトがついている。99年に退役した。

DBR370シリーズ

DBR20号車

初期型の20号車。奈良第2営業所所属当時の写真。この写真では貸切運用のようだが、奈良そごうの増設駐車場へのピストンバスも引き受けていたころだと思われる。三条川崎町にて。

DBR33号車

後期型の33号車。ゾーンバス車ではなく整理券車で、県立奈良病院線などで主に活躍したが、古くはあやめ池線や、割と最近では奈良済生会病院線でも運用された。晩年は同僚のゾーンバス車が廃車されたこともあり、六条赤膚線での運用が多かった。五条山団地にて。

DBRとMRのリア

閑散路線用MR112F(54号車。下に前面からの写真を掲載)と初期型DBR370(22号車。上に前面からの写真を掲載)のリア。DBRは冷房エンジンの換気孔が目立つ。閑散路線向け MR ではエヌシー仕様車と同じく後部方向幕が省略されたが、DBRは搭載している。




いすゞMR112F(吉野)
(奈良22 あ・・54号車 いすゞP-MR112F 吉野営業所所属 1992年8月 大和上市駅前にて)

MR の世代になると多くの車が固定窓であったが、中南部の閑散路線向け仕様があり、窓が手動で開くほか、側面や後部方向幕も省略されている。運賃箱は硬貨や1000円札の両替ができず、運転手が手動で箱の中にお金を落とし込むタイプのものを搭載していた記憶がある。この車は1999年廃車。

いすゞP-MR112F
(奈良22 あ・・73号車 いすゞP-MR112F 吉野営業所所属 1999年8月 大淀バスセンターにて)

MR角型ボディの標準的な車両。DBR と違い MR は直結冷房車であり、車体後部にクーラーのキセが載っている。多くは橿原・葛城・吉野で働いていた。写真のように、従来いすゞの中型車が受け持っていた下市線などもマイクロで運行されていて、現在は日野の RX などがその任にあたる。

MR-112F シリーズ

MR37号車

36号車までは DBR として製造され、この37号車が最初の MR であったが、閑散路線仕様であった。写真は直通化される前の高見系統に入っている様子。東吉野村の千代橋にて。

MR75号車

75号車は、奈良第2営業所では珍しい MR で、主に済生会病院線や、移管前の四条大路線などで活躍していた。時折予備車的に県立奈良病院線や六条赤膚線にも運用されたユーティリティ・プレーヤーである。油坂船橋商店街前−近鉄奈良駅間にて。

MR81号車

もともと歌姫線は中型車でツーマン運行されていたのだが、狭隘なためにマイクロに置き換えとなり、さらに運行がエヌシーバス委託となった。そのためそれまでは見かけることがあまりなかった(かつて存在した近鉄奈良駅−JR奈良駅−三条大路1丁目−西大寺駅も中型だった)マイクロ車が西大寺駅前に出入りするようになった。西大寺駅前にて。




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