日野RC321改
奈22 か・652号車 日野RC321改 奈良[第1]営業所所属 1989年8月 近鉄奈良駅−油坂船橋商店街前間にて

[20]系統 JR奈良駅−ドリームランド前間路線 (画質が悪くてごめんなさい…)


自家用車の普及や山間部の過疎化により、各事業者では撤退した路線も少なくない。筆者の印象に残っている廃止路線を紹介したい。なお、手続上は休止のものもある(と思われる)が、文中では「廃止」で統一しているのでご了承いただきたい。



京都駅−大安寺・八木駅(京阪バス、近鉄バス、奈良交通)

歴史をたどれば、奈良電鉄の近鉄譲渡に端を発する、近鉄・京阪とも共同で運行していた中距離路線。しかし国道24号線は地元で有名な渋滞頻発路線で定時運行がままならないことが多く、また長距離利用の旅客はほぼ並行する近鉄線を利用するため、空気輸送となることが多かった。筆者が奈良に引っ越してきた当時にはまだ急行91系統(京都駅−八木駅)が1往復だけ残っていたが、実際に乗車したのは京都駅−大久保、大久保−近鉄奈良の2区間に分けてである。

現在、近鉄・京阪とも奈良市からは撤退し、奈良交通の路線としても奈良市街からでるのは47系統高麗より南の地域であるが、木津−(バイパス)−二条大路南1丁目は1日1往復、柏木町南−国道横田や国道横田−新賀町間の本数も僅かしかない。最近奈良バイパス沿いには店も増えているのに自家用車利用の客しか目にないようで、ある意味輸送の実態に即しているとはいえ寂しい限りである。
新田辺駅−上狛車庫前(奈良交通)

新田辺をでて木津川を渡り、玉水を右折して国道に入り、山城町に入ると狭い道に入る。棚倉駅前を通り、(旧)椿井を通って24号線にでて少し北へ戻った上狛車庫前(もう乗った当時には近鉄物流の営業所になっていた)までの路線。なぜか午前9時半ころの中途半端な時間に1日片道1本だけ運転されていた。当然のごとく乗客はほとんど私1人だったはずである。JR奈良線の車窓から狭い道に奈良交通のポールが立っていたのが見えたのも昔語りになってしまった。
山田川駅−上野(奈良交通)

奈良交通で三重県上野市に乗り入れるといえば名阪国道経由の便が有名だ(それでも、三重交通により運行されていた津からの直通便はずいぶん前になくなったし、上野−津間のバスも廃止されたそうだ)が、国道163号線をひたすら走る路線バスもかつて存在した。3往復/日くらいはあったはずで、現在は区間便の月ヶ瀬口駅止めが残るのみ。私が乗った便は北岸経由だったので加茂を通らない、まさに163号線を直進する便だったが、月ヶ瀬口駅をすぎて、奈良交通では2ヵ所しかなかった「奈良県が関係しない県境」を通過し、西大手から上野市についたように思う。当時は上野市駅前にちゃんと奈良交通のポールがあったのだが、1年ほど前に訪れた時には撤去されていたようだ。
国道鹿畑−高山、生駒台東口−稲倉(奈良交通)

まだ NAIST ができる前の話。当時山田川から出ていた国道163号線のバスの多くは国道鹿畑で折り返し運転だった。が、日に数本生駒方向へ直通する便があり、生駒側から乗った記憶がある。現在は NAIST へ入る三叉路から高山までが空白地帯である。この路線だったかどうか覚えていないが、生駒台東口から稲倉までの数百mを通る数本のバスがあったはずで、これにも乗ったことがある。私市線か山田川行きかどっちかだったと思うのだがもうよく覚えていない。
(真弓東口−)真弓1丁目−上大町(奈良交通)

生駒市に広がる真弓住宅地はそもそも学園前方向と道路が繋がっておらず、開発直後は富雄駅からのバスが主な足であった。それが、私が中学生くらいの時に奈良市の松陽台と真弓を結ぶ「外環状線」が開通し、学園前から真弓住宅地までの路線バスが走るようになった(当初は真弓東口までで、その後延伸された)。永らく富雄からのバスがコンビニ横の小さな回転場でターンして運行されていたが、富雄側から来ると北大和営業所入り口近くに「上大町」バス停が新設され、近年ついに富雄からの路線は上大町折り返しとなって真弓東口バス停も廃止となった。私の手元の地図では上大町−真弓1丁目間にも路線が敷かれているが、この数百m間を営業運転する便はもうないはずである。

(追記:2001/3/23 から、生駒駅−上大町−西登美ヶ丘5丁目間91・92系統が新設され、この区間の運転が復活した。)

「富雄」の文字をバス停から外した若草台もそうだが、住宅地としての売り出しやすさからか「学園前」との直通バスが富雄へのバスより人気があるようである。
■ (梅田−)生駒登山口−近鉄奈良駅(近鉄バス)

1日1往復が存在した路線。朝奈良を出て昼過ぎに梅田を出るダイヤだったと思う。私が乗ったのは大阪からの便で当時はまだ本数の多かった寺川まで順調に走り、阪奈道路の上りにかかる。生駒登山口の料金所跡で小休止し坂道を下った。近鉄奈良のやすらぎの道沿いが終点だったはずで車はそのまま大安寺の近鉄バス営業所に回送された。当時はまだ京都方面への路線も残っていて、近鉄バスの営業所には5台前後の路線車両がいたように思う。現在は阪奈道路のバス停跡はゴミ捨て場のように荒れ果てている。また阪奈富雄バス停跡は速度違反取締に使われている。奈良交通の路線バスが設定されているのは奈良国際ゴルフ場より東である。




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