延伸前の中登美ヶ丘線

(延伸前の中登美ヶ丘住宅線)


加茂駅−木津駅−奈良駅 (国鉄バス・西日本JRバス)

近城本線の一部だった区間で、かつては奈良駅−水口本町などの中距離便が走っていた。しかし加茂から奈良よりは奈良交通はもとより自社の鉄道線とも同じルートを走ることになり、本数の少ないバスは存在価値がほとんどないといってよい状態だった。ルート的には加茂−鹿背山−木津−(旧道)−奈良阪−奈良駅だったと思う。奈良交通の加茂方面の系統が木津に寄らないのでドリームランド・梅谷地区経由なのに対して経路が違うのが面白い程度。路線廃止後、JR奈良駅には「ドリーム奈良号」のポールが同じ場所に立ったのが印象的。

天理駅−国道横田(奈良交通)

これも鉄道線にそのまま沿う路線だった。1日数本しか残っていなかったはずで、確か朝方の便に乗ったと思う。この路線自体はそれほどの思い入れはないのだが、この頃はまだ残っていた「天理駅−王寺駅(西名阪道経由)」に乗ることができなかったのは悔いが残っている(苦笑)。西名阪経由の路線については、まるさんの「奈良交通掲示板」の 2000年10月ごろの過去ログが参考になる。

近鉄郡山駅−泉台住宅(奈良交通)

泉原町から直進して幸前口に出て、法隆寺バスセンターには寄らず法隆寺駅筋から線路を越えて住宅地に入る。近鉄郡山駅から直接JRの駅に出れるのはこの路線だけだった。路線としては、近鉄郡山駅−泉原町、JR大和小泉駅−泉原町などが残っているので、純粋に廃止になったのは松尾寺口−幸前口、中宮寺前−泉台住宅となる。法隆寺バスセンター−JR法隆寺駅へはこの路線が通っていた道路の方が整備されているのだが、駅前に入る狭いので興留経由で運行されている。

近鉄高田駅−国分駅前(奈良交通)

これも鉄道線沿いの路線で、1日1往復、それも夜に高田を出てすぐにとんぼ返りする変わった路線だった。神楽交差点で国道165号線に入り、どんずる峰を抜けて国分までひたすら国道を走る。昼間は渋滞も多い区間だが夜なのですいすい走って国分に着いた。過去の長距離路線の遺物なのだろうか。国分といえば近鉄バスの国分駅前−王寺駅前もあったが、こちらも最近廃止になった。

■ (近鉄高田駅−)一町−壷阪山駅(奈良交通)

手元の地図ではまだ路線が残っているが、数年前に廃止になった路線。現在は一町(かずちょう)までの区間便が残っている。この一町から100m弱離れた別の道路上に「一町東口」バス停があり、当時から現在もこちらの方が運転本数が多い(30系統)。廃止された区間は群界橋から壷阪山駅までの区間で、一部狭い旧道を走る。

八木駅−西田原本駅(現 田原本バスセンター) (奈良交通)

片道のみ1日1本運転だった路線。八木西口駅そばで橿原線の線路を渡って真菅小学校そばから北上するが、橿原バイパス上をずっと走るわけではなく、細かく旧道を出入りし集落に寄り道しながら田原本に着いた。当時の西田原本駅の停留所は、桜井−百済寺間の路線も寄らない小さい回転場であった。車両はマイクロ(MR角型ボディ)だったはず。

■ (榛原駅−)野依−大宇陀茶町−大宇陀(奈良交通)

まるさんの「奈良交通掲示板」の情報によれば、昨年廃止になった迂回経路。大宇陀茶町から大宇陀高校にかけては商店街を通ることになり、マイクロ車で運転されていた。私が乗ったのは三茶屋から乗った大宇陀行きがそのまま大宇陀で榛原行きに化けた便であった。

■ (榛原駅−)掛西口−神末(奈良交通)

地図を見ていると、榛原からバスに乗れば途中で三重交通に乗り継げそうなことに気付き、朝10時頃の上内牧行きで出発、上内牧で待っているマイクロバスの神末行きに乗り換える。室生口大野駅からくる路線が交わる辰尾橋交差点は山中の薄暗い三叉路で待ち合わせには向かないような場所。掛西口では曽爾行きマイクロに接続して御杖村役場前を通り、建設途中の国道369号線新道を見ながら神末に到着。ここから県境の杉戸までのバスは昼間はないので、三重交通の路線が交わる敷津まで歩いた。伊勢本街道と呼ばれる街道沿いで、バスだけでなく歩きもまじえた快い小旅行だった。やはり「奈良交通掲示板」の情報によれば、昨年これらの路線は奈良交通としては廃止になっている。



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