上記リンクの公式ページを読むと、大和朝廷を成立させた政権がこの周辺の統一王座決定戦でチャンピオン…という言い方がくだけすぎなら「畿内平定」後、鴨氏の政治的な勢力は衰えたとある。ただそれは、たとえば戦国末期大坂の役の後の豊臣氏のような、根絶やしにするような征伐ではなく、多少の戦闘はあったかも知れないが降伏して服従を誓った程度ですんだのであろう。だからこそ全国に鴨・加茂・賀茂と名のつくところが点在しているのだ。そもそも「家」とか「血筋」とかいうのが持て囃されるのは近世の封建制か、もう少し遡るなら平安期の貴族階級である。飛鳥期以前のこの時代では「鴨氏」といってもそのあたりに住む人の総称ぐらいの意味だったに違いない。 考えてみれば、豪族由来の地名というのは奈良には多い。鴨氏は御所市の大字くらいにしか名が残っていないが、知っている限りでも巨勢(今の御所市付近?)・葛城・物部(今の橿原市付近)・初瀬(あるいは長谷。今の桜井市付近)・斑鳩・平群・狛(あるいは高麗・駒。今の精華・木津町や京田辺市)など数多い(もちろん未だに確証のないものも多いが)。 面白いのは、上で挙げた地名はだいたい川が近くにある。縄文後期から弥生時代にかけて始まった稲作が当時どれだけの中心産業だったかの傍証とも言えよう。 |