消えた R230 -有珠山噴火の跡-


取材走行:2006年8月
去る2000年3月31日午後1時すぎ、北海道の有珠山が噴火した。地面の隆起や火山弾、火山灰による被害は決して小さくはなかったが、関係者の英断により早めの全員避難を行い、直接的な人的被害は0に食い止められた。雲仙普賢岳の噴火で犠牲者を出してしまった反省が生かされたとも言える。

現在よく取り上げられる「減災」(自然災害による被害をゼロにすることはできなくても、小さくすることはできないかという取り組み)の1つの道しるべともなる出来事であった。阪神・淡路大震災を経験した私にとっても無関心ではいられない話である。

噴火から6年がすぎ、地元の方々の避難生活や長きに渡った交通規制のことも私のような道外の人間には忘れ去られつつあるが、現在も復旧していないのが国道230号線の一部区間である。すでに元は道道だった道路が代替国道として整備されているが、今でも残った区間は国道であることを主張している。

まず最初に地図を見比べて頂きたい。

1999年
By MapFan Ver.5 (c) Incremental P, 1999

これは 1999年発行の地図で、まさに噴火が起こる直前の状態の地図である。下2枚の地図は現代のもの。見比べて頂くと R230 が2ヵ所で分断されていることがよく分かると思う。

地図2
By SuperMapple Digital V7 (c) 昭文社, 2006

地図3
By ProAtras SV2 (c) Alpsmap, 2006

3枚目の地図に調査ポイントを入れてみたので参考になれば幸いである。



(2007年12月追記)

注釈をつけるのが遅くなってしまったが、2007年のProAtras, SuperMapple ではそれぞれ別の道が新たにR230として描かれている。下の地図は ProAtras SV3 より引用。

地図5

代替道路よりさらに西寄りの山の下を2本の長大トンネルを掘削したらしい。ただし、虻田洞爺湖ICからのアクセスとしては使いづらい。

元道道だった代替R230もそのまま国道として残っている。なお、ProAtras では SV2 まで残っていた旧国道の痕跡(本文参照)は消されている。

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